Готовый перевод Shuumatsu Nani Shitemasu ka? Mou Ichido dake, Aemasu ka / sukamoka volume 2: Том 2 (иллюстрации+том на японском)

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街が燃えている。

見慣れた何もかもが、炎の舌に巻かれ吞まれていく。

そこは、つい先ほどまでは、上層住宅街だった場所だ◦この裕福なエルビス集

商国の中でも、特に富んだ者だけが住まぅ、持てる者たちの園が広がっていた。

それが、見る間に失われていく。

白や赤や青に塗られていた屋敷たちが、次々と同じ黒へと染まり、その形すら

失い崩れ落ちていく。常緑樹の並木道だったものは、今や、巨大な松明の行列に

照らし出された光の道だ。

「-、っそ」

火の粉の舞い散る広場の隅で、フードをかぶった小柄な人影がひとつ、ベたり

と力なく腰を落とした。

「うそ、だ、ょね?」

光だけで瞳を焼きそうな炎の中を、まっすぐに見据えている。

まばたきひとつせず、呆然と、失われていくものを見つめている。

そうしている間にも、炎は凄まじい勢いで勢力圏を広げていく。

一匹の〈獣〉が、この浮遊島に解き放たれたのだ。

その名は〈広く包み込む五番目の獣〉。粘度の高い液体の塊で、足もないくせ

にゆっくりと動き回る。そして強酸か何かのょうに触れた生物をことごとく溶か

してしまう。

ただしそれは、ここからだいぶ離れた場所でのことだ◦そして〈五番目の獣〉

の侵攻速度は、決して速いものではない。この街もそのうち呑み込まれることに

はなるだろうが、それはもう少し先の話。時間は残されている。

「服iだ!」

大荷物を抱えた獣人の男が、先の小柄な人影を激しく突き飛ばした。

悲鳴をあげて、石畳の上を転がる。仕立ての良い外套が、たちまち煤と泥とで

廢れる。

大勢の人々が、走り回っている。

その目はほぼ例外なく恐怖に血走り、口々にわけのわからない悲鳴やら誰かの

名前やら祈りの言葉やらを叫んでいる◦大荷物を背負う者あり、徒手の者あり。

他人を押しのけかき分けるように、誰よりも早く一歩でも先に、,湾区画へ、飛

空艇へ、この浮遊島の外へ。〈十七種の獣〉が空を飛びまわれないことは、空に

生きる者の誰もが知る常識だ。空の上に出てさえしまえば、〈広く包み込む五番

目の獣〉は追ってこられない。

混乱と狂騒に駆り立てられた彼らには、足もとが見えていない。

何度も何度も、小柄なその人物は、ボ^ —ルのように跡りまわされた。

悲鳴すら、全てが足音と怒声とにかき消された。

やがて、広がる炎に追い立てられるようにして、人々の姿が辺りから消えた。

ぼろきれのようになって石畳に這いつくばっていたそれが、震えるようにし

て、半#を起こす。

外套のフードがちぎれてなくなり、隠されていた素顔が露わになっていた。

子供だった。

頭の上には、三角形の黒い耳◦頰には細く長い三対の髭◦獣人の血が混じった

家には、それなりに稀にではあるが、このょうに薄く徴を顕した子供が生まれて

くることがある。

その子は、炎の彼方を、つい先日まで日常があった場所を、再び呆然と見上げ

る。

「——おい、大丈夫か!」

耐火布を被った緑鬼族が一人駆け寄ってきて、ぼろきれを抱え起こす。

苦痛に顔をしかめ、小さく悲鳴を漏らす。

「観るぞ」

厳しい顔の緑鬼族の手のひらが、外套だったものの上から子供の体を探る◦ぐ

にゃりという手ごたえ。どうやら、あちこちの骨が折れている◦急いで手当てを

しなければ確実に命を落とすだろぅ重態だ。

「放……して、くだ、さい……」

力の入らない手で、ぐっと、緑鬼族の腕を押し返す。

「お、おぃ?」

「行かないと……ダメ、なんです……だって……」

「おい、無理すんな!あっちはもぅダメだ、近づける場所じゃね一」

「ダメでも、行かないと、なんです……」

石畳の上に、立つ。

ふらつきながら、炎に向かって、歩き始める。

「だって……今日は、会える日の、ハズなんです……」

すぐに限界を迎える。膝が折れる。左肩から崩れ落ちる。

「会わないと……会つて、あやまらないと……」

「あ一ったく、だから無理だっつ一の!」

緑鬼族が、再びその子供を抱き起こす。

痛みか、疲労か、別の何かか、それともそれらの全てか◦子供は気を失ってい

た。

緑鬼族は舌打ちすると、自分がかぶっていた耐火布で、その子をくるむ。

もちろん彼は気づいている。〈獣〉の脅威はまだこの市街から離れたところに

ある◦だから当然、今ここで燃え盛っている炎は、〈獣〉の襲撃とは直接の関係

がない。かといって、この火の回りの速さからして、ただの事故とは考えられな

V

まず間違いなく、わざと火を放った者がいたのだ。

悪意をもってこの惨劇を引き起こした誰かが、いたのだ。

ここは上層住宅街で、富める者たちの街だ。ここに住む者たちに対し、あまり

良く思っていなかった人々は決して少なくないだろう。その中の誰かが「どうせ

すぐに〈獣〉に吞まれて全てが無くなるんだ」「早いか遅いかの違いだ」などと

軽い気持ちで松明を放り投げた——おそらくは、そんなところだろう。

「気分悪ぃな、全く」

緑鬼族はうめくように吐き捨てると、傷だらけの子供を背に乗せた。

「フエ......ド.......」

意識のないまま、うわごととして、その子供は誰かの名前を呼ぶ。

「ワガママ……言って……ごめんな……さい……あやまる、から……だか

ら……」

緑鬼族は顔を伏せ、ここにいない誰かに向けての言葉を、聞かないふりをす

子供を背負い直し、港湾区画に向けて歩き出す。

1•ある老人の死

その日、ひとりの老人が、死んだ。

ラィエル市北街区、地下用水制御旧施設。この市が銅板と螺子を積み重ねて成

長を続けていたころに作られ、別の施設に役目を奪われた後には閉鎖された、歴

史と時代の隙間に取り残された小さな空間。

その片隅で、この世界に一言も遺すことなく、老人は眼るよぅに息を引き取つ

た。

この街とともに在り続けてきたすベての年月を頰に刻み、満たされた微笑みを

口元に浮かべていた。ずっと歩き続けてきて疲れたからと、少しだけ腰を下ろし

て休むだけだと言わんばかりに。

その死を看取る者は、誰もいなかった。

埃と錡にまみれた旧世代の機械たちが一瞬だけかすかな駆動音を響かせ、すぐ

にふたたび沈黙した。

そして、二度と動き出すことはなかつた。

『発条ヒゲのじいさん』と言えば、思い当たる者も多いだろぅ。ラィエル市の誇

る名物じいさんだ◦小柄でやせぎす。伸ばしっぱなしの白い髭◦ぼろぼろで薄汚

れた作業着◦ラィエル市のあちこちにふらりと現れては、放置されっぱなしの機

械仕掛けを黙々とメンテナンスし、去っていく。

昔は高名な技術者だったのではないかと言われている◦が、今はただの変人

だ。

本名は不明。身よりもない。知り合いだという者も名乗り出ない。

誰とも、一言も話さない◦もちろん報酬を要求することも、受け取ることもな

い。ただ黙々と、そこにあるものを直すだけ直して、姿を消すのだ。

都市伝説の類だという者もいる。お化けか、妖精の一種だという者もいる◦そ

のくらいに浮き世離れしていて、かつ、このラィエル市に当たり前に馴染んだ存

在だった。

遠い昔に地上で滅びた土竜人の血を薄く引く、最後の生き残りだったという噂

がある。もし事実としたら、これは大した悲劇だ。五百年以上の間を越えてかろ

うじて繫がってきた血脈が、ついに途絶えてしまったということになるのだか

ら。むろん真偽は不明で、今となつては確かめるすべもない。

そんな孤独な老人の死の意味は、いまだしばらく、表れない。

2•逃走者と追跡者

名前は忘れたが、昔の人が言っていた。

女に追いかけられるのは、誇るべき男の勲章だ。

後世の誰かが、その言葉に付け加えた。

勲章を受け取る以上は、命懸けの戦いになるのは覚悟しとけ。

そんなこんなで、フエォドール四位武官は走っている。

第五師団兵舎の廊下である。

見事な走りっぶりである。木張りの廊下を靴底で柔らかく踏みしめ、音もなく

狭い通路を駆け抜ける◦時折軍服たちとすれ違っては、その驚く顔が背後に流れ

ていくのを見送る。堕鬼種といぅ種族は、実は逃げ足にも定評がある。

すみ かべ は

視界の隅を、壁に貼られた『走るな』の壁紙が横切っていった。心の中だけで

頭を下げる。ごめんなさい緊急事態なんです今だけは許してください。

「待ちなさあ-—いつ*」

追手の少女が声を張り上げた。

年は十代半ば、女性兵用の略式軍服を着ている。大股を広げた、あまり上品と

は言えない走り方。どどどどと迫力ある足音は、まるで土煙を立てて疾走する馬

車のようだ。そうして一歩を駆けるたびに、癖の強い若草色の髪がふわりと揺れ

る。

「待てって、言ってるでしよ^~が.」

そう言われたところで、もちろんフエオドールの足は止まらない。待てと言わ

れた程度で待てるような状況なら、そもそも最初から逃げ出したりはしないの

だ。

目前に、曲がり角が迫る。

しめた。フヱオドールは、死角へと体を投げ出すようにして、角を曲がる。

もちろんそれで逃げ延びられるというわけではない。ほんの数秒、追手の視界

から消えることができる、ただそれだけだ。

そして、それで充分だった。

「逃、が、す、かぁ——」

消えたフエオドールの背を追い、少女が角へと飛び込んで、

г-あれ?」

戸惑いの声とともに、足を止めた。

そこに、彼女が追っていた少年武官の姿はなかった。

代わりに、橙色の髪をした少女が一人、驚いたよぅな顔で立ち尽くしていた。

「ラキシュ」

追跡者の少女ことティアット•シバ•ィグナレオは、同僚にして家族であるラ

キシュ•ニクス•セニオリスの肩を勢いよく摑む。

「ひやつ!?: ど、どぅしたの? |

「フエォドールいまここに来たでしょ、どつちに逃げたр:」

ぐいと、力強く詰め寄る。

「え?.......え、と」

ラキシュの視線が泳ぎ、廊下の先を示す。

「わかった、あっちね——」

ティアットは一度頷いてからそちらの方向に向き直り、改めて走り出す……と

見せかけ、突然ラキシュの背後にあった扉に手を伸ばすと、大きく開け放った。

無人の物置。

ごっちゃりと積み上げられた生活用品。濁った水を煮詰めたょぅな、何とも言

い難い臭いが漂い出す。

「む、ハズレか」

「え、と......テイアツト?」

「いやほら、ラキシュは優しいから。あいつをかばったんじゃないかなって、

ちよっと思ってさ。疑ってごめん」

んじゃ、と片手を振って、今度こそテイアットは走り出す。どどどどど。年頃

の女性にあるまじき迫力ある騒音が遠ざかっていく。

ラキシュはぽかんとした顔でそれを見送る。

やがてテイアットの背中が完全に見えなくなった後になって、はっと我に返

る。

「......あの。行きましたよ、フエオドールさん」

声をかけた先は、開かれた扉とは反対側。兵舎の中庭に面した窓のほぅだっ

た。

「いや危ないところだった、助かったよ」

窓枠を越え、頭に新緑色の葉っぱを数枚載せたフエォドールが顔を出す。

「助かった、はいいですけど」ラキシュは困ったような顔になり「今度はあの子

に何言って怒らせたんですか?」

「あ一つと……ちよつと話しづらいというか、どうでもいいというか」

「教えてくれないと、ティアットを呼びますよ? わたし、あの子の味方ですか

ら」

「うっ」

どちらかというと気弱な娘であるラキシュにしては珍しく、強い口調。

これはどうやら逃げられないと悟り、フエオドールは頭を搔いた。

「クッキーとビスケット」

「......え?一

「チョコレートに漬けて食べたらどっちのほうがおいしいか、って話。僕はクッ

キー派で、ティアットはビスケット派」

ぶっ、とラキシュが小さく吹き出した。

だから言いたくなかったんだ、とフエオドールは小さくぼやいた。

「まったくさ、お菓子のことくらいでひとを追いかけまわすなんて、あいつも心

が狭いよ。そう思わない?」

「......そういうフエオドールさんも、追いかけまわされても意見を変えなかっ

たってことですよね?」

「え。だっておいしいよね、クッキー」

口元を隠したラキシュが、横を向いて笑いをこらえる。

「……ティアットは、お姉さんなんです」

唐突なことを、言い出された。

「先輩たちが妖精倉庫からいなくなって、最年長になっちやって。実戦経験なん

てほとんどないのに、小さな子たちのお手本にならなくちやいけなくなって◦立

派でいよぅ、頼られる自分でいよぅ、ってずっと気を張ってて」

その話は以前にも聞いた。

「ええと?」

「だから、ずっと、ケンヵ友達がほしかったんだと思います」

「......、又、又と?.一

よくわからない。

「僕は別に、彼女と友達になった覚えはないんだけど。それに、君たちだって友

達同士なんだから、たまにケンヵくらいするんじやない?」

「友達とケンカしたい、じゃないんですよ。ケンカ友達がほしい、です」

「いや、やっぱり意味わからないから」

「そうですか?一

ラキシュは少し考えて、

「じゃあ、わからないままでいいんですよ。今のままのフエオド^ —ルさんで、

ティアツトのことよろしくお願レします」

「いやちょっと待って。ど、っい、っ文脈でそ、っい、っ結論になるのかわからない」

「だから、わからないままでいいんです」

「そこが納得できないって話をして——」

「見ぃつうけぇたぁ!」

廊下の隅にティアットが姿を現している。

獲物を追いつめた狼のような、ちょっと気合いの入りすぎた形相。

仮にも年頃の女の子として、ほんとそういうのはどうなのか。

「ゃば」

「そこ動くなあ^ —」

ティアットヵ走る。

フエオド-—ルも走り出す。

季節の風のように、二人が廊下を駆け抜けていく。はたはたと揺れる自分の後

ろ髪を指先で押さえつつ、ラキシュはまた、くすくすと笑う。

»т

誰もが、知識としては知っているように。

誰もが、実感としては忘れかけているように。

世界はかつて一度、滅びかけて。

そして今も、滅びに向かって歩み続けている。

理不尽がそのまま形を得たょうな殺戮者の群れ、〈十七種の獣〉が地上に現れ

たのは、今からずつと昔のこと。

当時地上に栄えていた人間という種がまたたく間に滅ぼされた◦竜やら古霊や

らといった強大な力を持っていた種族が、あっさりとその後を追った。かろうじ

て生き残った者たちも、本来の住処を追われ、空を飛ぶ島々の上へと追いやられ

た。

幸い、〈獣〉たちの中に、自在に空を飛ぶ種はなかった。地上に降りょうとし

ない限り、〈獣〉の脅威にはほとんど法えずに生きていける。だから生存者たち

は、自分たちに残された小さな世界を浮遊大陸群と名付け、そこで暮らし始め

た。

それから、長い時間が流れた。

薄水の上を歩むような時間だったはずだ。

空の上は比較的安全だとはいえ、〈獣〉の脅威から完全に守られていたわけで

はなかった◦何かをひとつ間違えれば、保留になっていた最後の大殺戮が、空の

上で再開されてもおかしくない。剣を持つ者たちは死にもの狂いで、穴だらけの

平和を築き続けた。継ぎはぎだらけの平穏を取り繕い続けた。

そういう世界で、五百年以上の時間が流れた。

人々は、平穏に慣れた。

なんだかんだ言って、何百年もの間、浮遊大陸群は健在だったのだ。ならばこ

れから何百年が経っても、どうせ沈まないに違いない。そんなことを、多くの者

が考えるように、なっていた。

t

きやははははは、という甲高い笑い士尸。

白いのっベりとした顔が、いくつも並んで通りを駆けていった。

幽鬼の群れ、という言葉が脳裏に浮かんだ。一瞬ぎよっとなって、フヱォドー

ルは慌てて振り返る。果たしてその人影たちは、童話に謡われる霧の幽鬼たちの

ように、陽光に溶けて消えてしまったりはしなかった。

そこにいるのは、何の変哲もない、獣人の子供たちの後ろ姿だった。そして、

先ほどフエオドールの肝を冷やしたあの白い顔は、どうやらただの仮面であった

らしいという、当然の現実だった。

オーペンヒルト西錠前通り、ちょっと陽の傾きかけた時刻。

「ああ-」

取り落としかけたミルク缶を抱え直しつつ、フエオドールは眩く。

一瞬とはいえ、あんなものに驚かされたことを悔しく感じながら、

「もう、奉謝祭の時期なのか」

「奉謝祭?」

隣を歩くティアットの問いに、そうだょと軽く頷いてみせる。

「あ一、君たちの島のほうじゃ、やってないのかな? この辺りの浮遊島では、

もうすぐ、そういうお祭りをやるんだよ」

ちなみに正確な名は、準ディドルナチカメルソル奉謝祭、である。

創始者である聖人の名前をとったものらしいが、長くて読みづらくて覚えにく

い。だから皆、「奉謝祭」としか呼ばない〇大雑把に説明するならば、それは20

番代の浮遊島を中心にした広い範囲で続けられている祭事だ。

いわく。死の季節である冬が終わり、生誕や再臨の季節である春が来た。つま

り、この終わりかけの世界が、まだ無くなり終わっていない。それはとても喜ば

しいこと◦だから皆で祝おう……とまあ、もともとはその辺りがお題目だつたは

ずだ。

「面白いお面だったけど、あれって石彫り?」

ティアットが、クッキーをかじりながら尋ねてくる。

先ほどの言い争いが、「おいしいチョコレートクッキーをごちそうしてくれた

ら納得してやろう」というところに落ち着いたのだ。どうして向こうが譲歩して

いるかのような言い方になっているのか、釈然としないところはあるが、そこは

飲み込んでおこう。

「いや、木製だよ◦白い絵の具を塗り重ねてあるだけ◦奉謝祭の時期が終わった

ら、まとめて火にくべるんだ。死者ときっぱりお別れするためにね」

「死者?」

ティアットがまた疑問を投げてくる。

「冬と春の境の季節には、死者と生者の世界も混ざり合うって考え方なんだよ。

死者は顔も名前も失っているからそのままじゃ交われないけど、生者のほうも同

じように顔と名前を隠してしまえば立場は同じ。本来会えないはずの死者たちと

一緒に、春の訪れを祝うことができるって寸法さ」

フエオドールは肩をすくめ、皮肉を込めて笑う。

「どこにでもありそうな迷信だょ。大事なのは、胸を張ってお祭り騷ぎができる

こと◦必要なのは、その騒ぎを正当なものにしてくれるだけの大義名分、って

ね」

「へぇ……」

隣を歩く少女は、いまいちニュアンスの読み取りづらい、曖昧な声を出して頷

く。興味があるのやらないのやら。

「どこで売ってるの?」

「あちこちで◦この時期になると、服屋とか靴屋とかの棚の端にあの仮面が並ぶ

んだ。ひとつひとつ細かい模様とかが違うし、もちろん種族ごとに顔の形も違う

しで、好みのやつを見つけょうと思ったら色んな店を歩いて回る必要があるけど

さ」

「へぇ一」

先ほどまでより、ちよっとだけ色の濃い返事。

「欲しいんだったら、今から何軒か寄ってく?」

「ん一……面白そうとは思ったけど、やっぱ、ちよっと微妙かな」

「そうなの?」

「生きてる人が、死んでる誰かと会いたいっていう願いのためにかぶるものなん

でしよ? だつたら、わたしたちが参加しちやいけないと思うし」

「またその理屈か」

うんざりと、フエオドールは眩いた。

いわく、彼女たちは妖精である。そして妖精とは正しく「生命」として在るも

のではなく、死者の魂がフラフラ迷い出てきただけのものである。ならば、生死

が交わる祭りに、生者の側の立場として参加するのはおかしい……とまあ、ティ

アットが言わんとしているのはそういうことだ。

そして多分その考え方は、少なくとも間違ってはいないのだろう。

けれど、正しい理屈であれば誰もが納得するというわけではない。少なくとも

フエオドールは、あまりに彼女たち以外にとって都合がよすぎるその理屈のこと

を、まったく全然これっぽっちも認めていない。

もちろん、知識としては受け入れているつもりだ。幼くして死んだ、まだ生命

としての自分になじみきっていなかった子供の魂が、ふらふらと迷い出た結果と

して発生するただの自然現象だ。気圧とか湿度のアレコレの結果として発生する

雨風や嵐と同じヵテゴリーのものなのだ◦だから、それこそ雨風のように、条件

さえ満たせばどこにでも湧いてくる。

しかしだ。雨風はドーナツを食べないし、剣を振り回さないし、偉大なる先輩

に憧れたりもしないし、泣きながら死地に向かうこともない。フエォドールは、

彼女たちのそういうところを知っている。だから、「彼女たちは生命ではない」

という大前提を、うまく飲み込むことができていない。

「やっばり気に入らないな、そういう考え方は」

「知ってる。でも、別にわたし、きみに気に入られたいとか思ってないし」

しれっと言われた。

「世間一般的には、上司の機嫌はとっとくべきものとされてるょ」

「ん一、それはそうかもしれないけど」少し考えて「上機嫌なきみって、あんま

り見たいと思えないし。それで何か便宜図ってくれるほど気前いいとも思えない

し。総合的に考えて、やっばないかなって」

まるで天気の話でもするょうに、さらっと嫌みなく言われた。

「嫌われてるなぁ、僕……」

「、っん、そぅだね」

にっ、とティアットは少し意地悪く、歯を見せて笑ぅ。

「大嫌いだょ、きみの事」

——ちぇ。何だょ、それ。

堕鬼種は、嘘つきの一族だ。これは、自分で嘘を組み立てる際の手際だけの話

ではない。他の種族の者が語る言葉の中からも、巧みに虚偽を嗅ぎ分ける。

今のティアットの言葉に、嘘はなかった。

どこまでも素直に正直に、彼女は「大嫌い」と口にした。

とても親し気で。

とても好意的で。

とても楽しそうな。そんな、心の底からの「大嫌い」だつた。

Sも——)

思わず、返しそうになる。

(僕も、そんな君のことが大嫌いだよ)

けれど、それを声に出して伝えても、負け惜しみにしかならないような気がし

た。

だから、言葉はまるごと飲み込んだ。

fT

このラィエル市は、死にかけの街だ。

何せ、遠からず浮遊島ごと滅びることがほぼ確定している。

それゆえに住民たちのほとんどが他所の島へと逃げ去った◦かつて鉱山の街と

して活気に満ちていたのも今となっては遠い昔の話。今ここにあるのは、まだか

ろうじて無人の廃墟にはなっていないという程度の寂しい街並みだけだ。

しかし、死にかけというのは同時に、まだ死んでいないということでもある。

ラィエル市は、今もまだ、都市である。その体裁を保てているかというと微妙

なところではあるし、どうあれ先が短いことに変わりはないとはいえ、今はまだ

廃墟になりきってはいない。大きく数を減らしたとはいえ、人口がゼロになった

というわけではない◦都市機能の多くは、勤勉なる自律人形たちによって維持さ

れている。日の本数こそ減ったが公営の飛空艇は変わらず巡回しているし、人も

物資も細々と動き続けている。

半月ほど前のことだ。

そのラィエル市の港湾区画の半分近くが、放棄されるとい、っ事件が起きた。

港湾区画は、各浮遊島に設けられた、飛空艇を接舷させるための設備である。

平たく言えば、浮遊島の玄関だ◦大原則として、飛空艇というやつは、各浮遊島

の港湾区画にしか発着できないようにできている。だからどんな人も物資も、港

湾区画を経由しないと出入りができない。超重要施設なのだ。

その機能が半ば失われるというのは、つまり、よその浮遊島とのつながりが

ごつそりと減つたということに他ならない。通常の都市にとつてはそのまま生死

を分けることになる大問題だ。

不幸中の幸いと言うべきだろうか◦ラィエル市は、生死を分けるまでもなく、

そもそも死にかけている。飛空艇の発着回数は既にギリギリまで減っていたし、

物資の流通が多少滞ったところでそれでどうにかなるほど健全に経済が回ってい

るわけでもない。

終わりの時を待つ街は、多少の傷を負った程度で、今さら怯えも騷ぎもしな

、о

V

眠るよぅな静けさと穏やかさを湛えたまま、今日も変わらず、ここにある。

fT

また、白い仮面の集団と、道をすれ違った。

「............ん?」

ふと足を止めて、振り返る。

自分でも、なぜそんな反応をしたのか、いまいちわからない。

怪しい一団だということは、今さら言うまでもない。祭りの近づくこの時期、

怪しいというだけの者であればそう珍しくもない◦その辺りの事情は、そもそも

の人通りの少ないラィエル市内であっても変わらない。

生者が被る、死者に近づくための、白い仮面◦それはかぶる者の素顔を隠し、

素性を覆い、正体を塗り潰して、「誰だかわからない誰か」に仕立て上げる。そ

うしなければ生者は死者と共にはいられない。

くだらない迷信だと思う◦その意見を変えるつもりはない。けれどひとつだ

け、納得せずにはいられない理屈が混ざっていると思った。仮面をかぶった者た

ちは事実、正体不明の「誰か」になる◦仮面が街中にあふれだした今、ここには

そうい、っ「誰か」が大勢-と言えるほどの人はそもそもこのラィエル市にはい

ないが、とにかくそれなりの数-、っろついているということになる。

「ほひたの?」引き続きクッキーをかじりながら、ティアットが振り返る。

г……前に憲兵科が、何か言ってたよね◦例の事件で港湾区画が半壊したから、

今後の運用のために、ここ半年くらいの運行記録を整理し直したって」

「あ、、っん……言ってたけど」

港の数が多ければ、どうしても、その中には管理がずさんな場所も出てくる。

そういうところを利用して、違法に物資をやりとりするような連中も出てくる。

「改竄の痕跡が多数見つかった。そのへんを修正して数えると、入ってくる人数

と出ていく人数のバランスがおかしかった、らしいよ。明らかに、入ってくる数

のほうが多かったって」

「そりゃそうでしよ、もうすぐ沈むかもとか言われてる街なんだから、入ってく

るスなんて-、又?一

テイアットの手から、クッキーの紙袋がすべり落ちそうになる。

「え? どういうこと? 人が増えてるつてこと?一

「そうだね。それも、わざわざ書類をごまかしながら、こつそりとね」

「え一……もしかしてここ、隠れた人気スポット? 実は密入国してでも住みた

い街ナンバーワンだとか」

んなわけが、ない。

ライエル市は、終わりかけている街だ。ここ何年かの間、少しずつ活気を失

い、無人の廃墟へと近づき続けてきた。そして、フヱォドールの記憶にある限

り、少なくともこの半年の間に、人が増えたなどと実感するようなタイミングは

なかつた。なじみのパン屋もひとつまたひとつと看板を下ろす一方で、新しく開

く店など、まるで見かけなかつた。

だからきつと、新しくこの街に来たというその連中は、表通りを歩いていない

のだ。ドーナツを買い食いしてパン屋の経営を支えたりもしないのだ。

誰だかわからない連中が大勢、この機械仕掛けの街並みの陰に生きている。

(姉さんも、その中に交ざってた……んだろうな)

先日会ったばかりの、銀色の髪の女——血のつながった実姉のことを思い出

す。あれは実に堕鬼種らしい堕鬼種だ。性格がひねくれ曲がっている。噓に長

け、逃げ足が速く、そして……それゆえに、策謀や陰謀の類をとにかく得手とす

る。彼女はここで、何を考えて何を狙って何をしていたのか。

「で、それがどうかしたの?」

「ぃゃ」

姉の件はともかく、怪しい連中の脅威について考えることのほうは、憲兵科の

連中の仕事だ。フエォドールには関係ない。

いやな予感を覚えているのは確かだが、それだけを理由にして勝手に動きだす

わけにはいかない。ついでに言ぅなら、それほど暇なわけでもない。

怪しいやつらがいるかもしれない街を、どこの誰だかわからない連中が歩いて

いる。言ってみれば、今の状況はただそれだけのことでしかないのだから。

3 •林擒とマシュマロ

市の外れの森の中から、最近、小さな子供の泣き声が聞こえるのだといぅ。

いわく、放っておいても泣き止まない。

かといって、森に入っても当の子供の姿が見つからない。

г泣き声は遠く、市内に実害が出ているというわけでもないが、どうにもこうに

も気味が悪い……ということだそうだ」

そこまで説明を終えて、護翼軍第五師団総団長である被甲人の一位武官は「ど

うだ?」とばかりにその場の全員の顔を見渡した。

「ん一、みんなはとう思う?」

思案顔で、若草色の髪の少女——ティアットが改めて全員に問う。

「状況からして、可能性は高いと見ていいだろうな」

澄ました顔で、紫色の髪の少女、パニバルが頷いた。

「急いで確認しないと◦いないならいないでいいけど、もしいるなら、早く迎え

に行つてあげたいし」

心配そうな顔で、ラキシュが意見を述べた。

「ぅむ、ほかく大作戦だ!」

元気ょく宣言しつつ、コロンが腕を高く掲げた。

「……あのさ」

そんな少女たちから少しだけ離れたところで、フエォドールが遠慮がちに手を

挙げる。

「四人だけで分かり合ってないで、僕にも説明してくれないかな。今の説明だけ

で、何かがわかったってこと?」

「X.-—」

あからさまにティアットが面倒くさそぅな顔になった。この反応は概ねフエォ

ドールの予想通りである。彼女には最初からフレンドリーな対応を期待していな

「おお、わすれていた!」

悪びれもせず、コロンがにかっと笑った。

「いやすまない、君は既に身内のような気がしていたんだ」

はははと楽しそうに笑いながら、パニバルがフエオドールの背をぱんぱんと叩

いた。この二人の対応もまた想定通り。

「えと、その……森の中に同族がいるかもしれない、ってことなんです」

申し訳なさそうに何度も頭を下げつつ、ラキシュが説明を始めてくれた。これ

は予想通りというより期待通り。

奇人揃いの四人娘の中で、この子だけはまっとうな社交性の持ち主である◦他

の三人のやらかす滅茶苦茶のフォロ^役でもあることだし、ちゃんとコミュニ

ケーションをとつてくれるだろうと信じていた。

さて、問題の話の内容のほうだけれど、

「同族」

「はい、黄金妖精です」

少し考える。

「ごめん、よく意味がわからない。それってつまり、どういうこと?」

「わたしたちの妹が生まれてるかもしれないから、迎えに行きたいってことなん

です」

付け加えられた説明を念頭において、もう少し考えてみる。

......うん、やっぱりよくわからない。

「ふむ。やはりそういうことか」

ここまで沈黙していたこの部屋の主、護翼軍第五師団総団長が、甲羅に覆われ

た頭を重々しく上下に振った。

「通常なら、専門の捕獲呪術師が勝手に押しかけてきて勝手に調査をして勝手に

捕獲していくんだがな。今回の場合はお前たちに……」

視線を向けられた少女たちが、一様に頷く。

「任せて良いようだな」一位武官もまた深くうなずいて、「ではフェオドール.

あレこ

ジェスマン四位武官、改めて君に、現状確認の任務を与える◦もし新たな

黄金妖精が発見できたならば速やかに確保し、連れ帰るように」

なるほど、そういうことになるのかと思う。

何をすればいいのかはさっぱり分かっていないけれど、それでもフェオドール

はこの四人娘の上司であり監視役だ。この四人がやるべき仕事があるならば、そ

れはフエオドールに対しての命令という形で下されることになるだろう。

「了紙しました」

内心ぅんざりとしていたが、もちろんそんなものは表に出さない。いつも通

り、精巧に作られたポーヵーフェィスの裏側に、厳重にしまい込む。

「フヱォドール•ジェスマン四位武官、現状確認の任務に取り掛かります」

fT

おおょそ三時間後。

問題の森の外縁部◦ラィエル市の一部を見下ろせる、ちょっとだけ小高い場

所。

「ふわあぁ……あ」

手近な切り株に腰かけ、フиォドールは大きなあくびを空に放る。

森の中へは、あの妖精たち四人だけが入っていった。

お伽噺に出てくる妖精についての記述には、ときどき「純真な心を持った子供

にしか見えない」という一文が出てくる。これはハッタリでも雰囲気作りでもな

く、事実として妖精というものにはそういう特性があるらしい。理屈はよくわか

らないが、純粋な心の子供あるいは妖精の同族にしか、本来存在しないモノであ

る彼女たちを存在し始めさせることが難しいのだとかなんとか。

あのあのこれはもちろんフエオド^ルさんの心が汚れてるとかそういう話じや

なくて念のためにそうしておきたいってだけの話ですからその悪いふうにとらな

いでください——ラキシュが大慌てでそんなことを言って、ティアットの大爆笑

を誘ったりもした。

まぁ、心が汚いという点については自覚もある。どうしても参加したいという

強い動機があるわけでもない。もちろん本来であれば監視役として彼女たちから

目を離してはいけないのだが、これは色々な意味で今さらだ。だからこうして、

森の外での留守番を引き受けることとなった。

しかしこの状況、ゆっくりと考えごとに浸るには悪くない。

(……考えとかないといけないこと、けつこう色々あるしな)

三か月後の決戦に向けた護翼軍の通常任務について◦先日の、〈重く留ま

る十一番目の獣〉の一件の後始末について。護翼軍武官としてではなくフェォ

ドール•ジェスマン個人としては、最近になって市内に増え始めた胡乱な連中の

ことについても何か手を打っておきたい。それから、西通りの飴屋が出して

いた季節の新作のチェックも忘れてはいけない。

それから-そう。計画のこと。

フェォドール•ジェスマンには目的がある。他のなにを捨ててでも掘みとらな

ければならない、夢のょうなものだ。フェォドールの五年間は、すべて、そのた

めに費やされてきた——護翼軍に入ったことも、優等生を演じてそこそこ出世し

てきたことも。

そしてその末に、あの妖精たちに出会った。

目的のために必要だった、護翼軍の秘密兵器というパーッの詳細を、期せずし

て知ることができてしまった。幸運だったと言っていい。計画は大きく前進し、

次の段階へと踏み込むことができた。

次の段階。つまり、あの兵器たちを、手に入れる。

それができないならば、無力化できるょうな弱点を突き止める。

(まだ時間はある……けど、そんなにのんびりもしていられないか)

内心の焦りを放り棄てるょうにして、空を見上げる。真っ青な視界を、名前も

知らない白い鳥が横切っていくのが見えた。

「……腹へったなぁ」

なんとなくつぶやいた後になって、実際に自分が空腹なのだと気づく。

ポケットの中を漁ってみたが、口に入れられそうなものは何もない。いつもは

こういう時に備えて飴玉を常備しているのだが、今日に限ってたまたま補充を忘

れていた。

鞠を探る。

林檎の実がひとつ見つかる。

「これでいっか」

気分としては、もっとがっつり甘味のある菓子類が欲しいところだった。しか

し今はそんな贅沢を言っていられる状況ではない◦口に入れられるものがあった

だけありがたいと思うことにしよ、г-そう自分に言い聞かせる。

ポケットから取り出した折り豊みナィフをぱちんと開き、皮をむき始めた。刃

物の扱いにはそこそこ慣れている◦しよりしよりしよりと、赤い皮が細長く伸び

てゆく。

かさりと、近くの茂みが揺れた。

「......ん?」

兎か何かだろうかと思い、視線だけをそちらに向けて確認した。

小さな子供——見たところ牙も角も翼も鱗もない、いわゆる徴無しだ——が、

くさかげ

草陰から顔を出して、フヱオドールの手元へと熱い視線を注いでいる。

フエオド^ —ルは手を止めた。

子供は小さく首をかしげた。

奇妙な沈黙の時間。

おそらくこの子供の中で繰り広げられていたであろう警戒心と好奇心の戦い

は、後者の勝利に終わった。再びがさりという音、茂みから立ち上がったその子

供は、短い手足を懸命に動かしてフエオドールの足元までやってくると、手元か

らぶら下がつたままの林檎の皮をじつと見つめ始めた。

ぼさぼさの髪は、明るい赤茶色。

年は——堕鬼種の基準に照らし合わせて、二歳ほどに見える◦もちろん、種族

が変われば寿命も変わる。こんな推測に大した意味はないのだが。

何も着ていない。全身の素肌を風に晒したままだ◦そんな格好で森の中を動き

回つていたのなら当然全身が切り傷だらけになりそうなものだが、見たところそ

ういうこともなさそうだ。

ちよつとだけためらいつつ、ちらりと性別を確認する。女の子だつた。

「ぅぁ一……」

ひらひらと手元で林檎の皮を揺らしてやると、幼いその女の子の目も、追いか

けるように揺れる。

これは、やつぱり、そういうことなのだろうか。

「……まさか、近所にお住まいの迷子でした、みたいなオチはないよな?」

誰にともなくそんなことを尋ね、少しだけ沈黙してみる。

けれどもちろん、返答など、どこからもない。

改めて、女の子の顔をじっと見つめる。はっきりくっきり、ょく見える。

純真な心を持った子供にしか見えないとかいう話はどこに消えたのだろうかと

思う。

「悪いけど、あげないぞ。これは僕のおやつだ」

女の子が顔をあげて、フヱォドールを見た。

ぱちくりと、まばたきひとつ。

なんだこれ、と視線が問いかけてくる。

またひとというものを理解する前の幼い子供にとって、風のささやき、水のせ

せらぎ、人のつぶやき、それらの間に大きな違いはない。何かおかしな音がす

る、いつたいこれは何だろ、っ——ただそれだけのシンプルな興味をもとに、視線

はまつすぐにこちらを観察している。

(——子供の相手は、苦手なんだよな)

外面のよさと世渡りのうまさだけで生きる堕鬼種の末裔としては、少々問題の

ある話かもしれない。けれど、それが、フエオドールの偽らざる気持ちだ。

なにせ、子供の興味というやつは極端だ◦連中の世界には、興味を惹かれたも

のと惹かれないものと、そのふたつしか存在しない。お互いに疲れず手間のかか

らない「ほどほどの関係」というやつが作れない。

とりあえず作り物の笑顔を見せることはできる。機嫌をとることもできるだろ

う。しかしうかつにそれに成功してしまうと、懐かれてしまう。付きまとわれて

しまう。まとわりつかれてしまう。それは......なんというか、もう、嫌だ。

「森の中に戻りな◦優しいお姉さんたちが君を探してるから、見つけてもらうん

だ」

できるだけそっけなく、そう言ってやった。

「うあ? I

反応はない。

女の子の視線はすぐに林檎の皮へと戻った。風が吹いてふらふらと揺れるそれ

を追いかけて、丸い瞳が左右に揺れる。

ひきつりかけた笑顔を解いて、フエォドールは重いため息を吐いた。言葉の通

じない生き物に対して、嘘吐き鬼の武器はさっぱり役に立たない。

どうしろって言うんだょ、もう。

誰にともなくそんな文旬を眩きながら、皮むきを再開◦しゅるしゅると伸びる

皮。女の子の視線に熱意がこもる。

「あげないからな」

役に立たなかった笑顔をひっこめて、冷たく言い放つ。

林檎をむき終わる。皮がぽとりと地面に落ちる。

「まったく、あの四人、今どこを探してるんだか……」

ここだよここ。話題の新人はここにいるんだよ。

愚痴のようにして、小声で眩く。

ひしっ。小さな手に、軍服の足をつかまれた。膝によじ登ろうとしてくる。柔

らかくも力強い感触。やたらと高い体温が、布地ごしに伝わってくる。

振り落とそうと思えば、もちろん簡単にできる◦けれどそれをしたら、この小

さな生き物が怪我をするかもしれない。躊躇がフиォドールの動きを止めている

うで

間に、女の子は軍服の膝までの登頂を果たし、短い腕をまつすぐに林檎に向けて

「つて、あ、こら*」

伸ばした手は、しかし虚しく空を切った。

林擒とナィフを持った手を両方とも高く差し上げて、フエォドールは身を反ら

せる。

「危ないってば、こら、暴れないでくれ、降りてくれって」

訴えたところで、もちろん聞いちやいない。、っぁ^~ぅぁ^^と不満けな声をもら

しつつ、フヱォドールの胸板に片手をついて、逆の手を懸命に空へと伸ばす◦届

かない。けれど諦めない。届かない。諦めない。、っぁ一ぅぁ一ぅぁ一。

「ああもぅ、無駄なんだから諦めろって」

届かない言葉を、それでも独り言のように繰り返す。と、

「ただいまあ」

そっけない感じのティアットの声が、背後から聞こえた。

「すみません、お待たせしました!」

慌てたようなラキシュの声が続いてきた。

錡びた歯車を回すような鈍い動きで、フエオドールは振り返る。膝からすべり

落ちそうになった女の子が、フエオドールの首にしがみついてくる。

森の出口にはもちろん、今の声の主である四人の少女たちの姿がある。そし

て、

(あれ?)

ラキシュの胸元には、毛布でくるまれすやすやと眠る、小さな女の子の姿が

あった。

透き通るよぅな青い髪。年はやっぱり、二歳くらい。

「......ええと、なんかよくわからないことになつてるみたいだけど」

半眼になり、口元を軽くひきつらせながら、ティアットが尋ねてくる。

「その子、きみの子?」

彼女は彼女なりに、このよくわからないことになっている状況に混乱している

らしい。要点をまったくとらえていない、実にずれた質問だった。

г……そんな年じやないよ」

ずれた質問には、ずれた回答。

両腕を高く上げ、首から裸の子供をぶら下げたまま、フиォドールは首を横に

振った。

「ぅあ?一

至近距離。女の子の赤い瞳が、何かを問いかけるように小さく揺れたのが見え

た。

四人が連れてきた青い髪の子供は、もちろん、この森で発生したばかりの妖精

だった。

そして、フエオドールにしがみつくこの赤い髪の子供も、やはり同棣だった。

一度に複数の妖精が発生するということは、よくあるとまでは言わずとも、そ

れほど珍しい事象ではないのだという◦一人が生まれる手順を経て生じる二人分

の命◦他の種族における双子のようなものだろうか、とフエオドールは解釈し

た。

「ラーン先輩とノフト先輩も、そんな感じに生まれたらしいしね◦つて言つて

も、君にはわからないか」

もちろんその通り。どちらも初耳の名前だ。

「そういうのって、問題とか、あったりしない? その……ょく聞くやつだと、

体力を二人で分けあって生まれることになるからどうしても虚弱になる、みたい

なヤツがさ」

「ん一、大丈夫なんじゃない?」つまらなそうにティアットは答えた「ちょっと

はそういう影響もあるのかもしれないけど、だとしても個人差と区別がつけられ

ないレベル」

振り返る。コロンとパニバルが、眠りこけた小さい二人を背負っている。ラキ

シユがその少し後ろを、微笑みながらついてきている。

「本来の『妖精』は実体がないから、眠ったり食べたりはしないんだって。ああ

やってぐ一すか寝てるってのは、黄金妖精として、しっかり体を持てた証拠。だ

から、そんな心配しなくても大丈夫」

別に、そんなに心配してるわけじやないけれど。ただ、少し気になっただけ

で。

自分力^配するとしたらそうもつと別のこと。

「——あの二人も、そのうち、君たちみたいになるの?」

гん?」

「例のでっかい剣とか持って、死にたがったりするようになるわけ?」

「あ一。言い方に悪意感じるな一」

気分を害した風もなく、ティアットはけけけと笑う。

そして結局、質問には答えてはくれなかった。

4•ふえど^ —る

いつまでも「あの子」「その子」と呼び続けるわけにもいかない。

あの二人に名前が必要だ、という話をした。

一位武官と四人娘が、揃って黙り込んだ。

何を悩む必要があるのだろう、と思った◦名前なんて、当たり前の話だが、

しょせん名前にすぎないのだ◦それっぽくて分かりやすければ、それでいいはず

なのだ。だから、例えば、過去の偉人の名を借りたり、家族の誰かの名をもらっ

たり。

そうだ、と、フエオドールはひとつ提案した。例の、クトリ先輩だっけ、の名

前をもらえばいいじやないか◦僕は納得してないけど、立派なひとだったんで

しよ? と。

反応は、気まずそうな沈黙だった。

いわく、妖精に他人の名をつけるのは、タブーであるらしい。

少なくとも、一度別の妖精につけられたことのある名は、決して使ってはなら

ないのだと。理由は、彼女たち自身もよく理解していない。ただ、そういうもの

なのだと、教えられているらしい。

妖精の名づけは、できるだけ慎重に行われるべきである。その時の妖精たちの

最年長者が、過去の記録を精読したうえで、ふさわしい名を決定するべきなの

だ……というのが、あまり厳密に守られているわけではないけれど、いちおうの

慣習であるのだとか。

そんなわけだから、急ぎ、68番浮遊島にある妖精たちのホームへ、連絡を送っ

た。そして、正式な名前が決まるまでの間に使う、仮の名前を決めようというこ

とになった。あまり人の名前らしくない名前。めちゃくちゃ安易で、ニセモノの

名前だと言われれば、すぐに納得できそうなやつがいい。

どうしたもんかね、と首をひねる一同の前で、赤い髪の子供が、小さく刻まれ

た林檎を幸せそうにしゃぐしゃぐと食べている◦そして青い髪のほうは、そのや

わらかい頰をコロンにぷにぶにとつつかれながら、嫌そうに身をょじっている。

赤いほ、っの仮の名1刖は、『リンゴ』に決まった。

青いほうの仮の名前は、『マシュマロ』に決まった。

いやいやいや。いくら安易な名前がいいのだとしても、ものには限度というも

のがあるのではないかとフエォドールは思った。

そう思うだけで、口にはしなかった。

「君はこれでいいのか、リンゴ」

尋ねたら、よだれと果汁でべたべたになった顔で、きやっきやと笑った。

「そっちはどうなんだ、マシュマロ」

こっちを向いて、『なあに?』と言わんばかりに、小さく首をかしげた。

当事者たちに異論がないなら、これ以上、他所から何かを言うべきでもないだ

ろう。

そもそもフエオドールはティアットたち四人の上司というだけの立場である。

この二人の子供は、その四人を伴う任務の課程でちよっと保護することになった

だけの、いわば通りすがりの他人のようなものだ。口だしをする責任も権利もな

い。加えて言うならば、そこまで深入りするつもりも......もちろん、ない。

けれど。

できたら、早いところ68番浮遊島から返事がきて、ちやんとした名前をつけて

もらえるといいな-などと、そのくらいのことは、思わなくもない。

「呼び方が決まらないと、不便だからね」

自分に言い聞かせるょうに、こっそりと、そう眩いた。

ふと視線を感じて振り向くと、なぜかパニバルがにやにやとこちらを見てい

た。 ぐ!

……ただの偶然だろう、と思う。

少なくとも、つぶやきが聞かれていたわけではないはずだ……と信じたい。

t

いま第五師団が基地としている場所は、もともと公営の学校施設として使われ

ていたものだ◦五年前のエルビス事変よりもずっと前、経営の失敗を理由に閉

鎖。その際飛空艇工場へと改装されることになるはずだったがこの話は頓挫。そ

の後も色々あって、最終的に護翼軍へと権利委譲されて現在に至る。

つまり、もともと軍が使う施設として設計されたわけではない。

おそらくはそのせいだろうが、軍の規模と施設の規模が、微妙に嚙み合ってい

なくて、ちぐはぐになっている。その中でも、兵舎は特にひどい◦余っている部

屋、足りない部屋、手狭な部屋、広すぎる部屋◦整頓の苦手な子供が詰め込んだ

おもちゃ箱のような混沌が、規模こそ違えどほぼほぼ同じようなカタチで、そこ

にある。

ここにあるのは、もともとそんな感じの理由で使われていなかった部屋だ◦そ

こそこの広さはあったが、人口からの距離があることや上のほうの階にあったこ

となどが災いし、埃が積もるに任されていた。

その部屋に、一月ほど前に二段ベッドがふたつ運び込まれ、四人の新しい住人

がやってきて、生活を始めた。

さらにその部屋に、つい先日、小さな揺りかごが二つ置かれた。

そして、二人の新しい住人がやってきて、生活を始めた。

その部屋にフエォドールが立ち入ったとたん、

「ふぇとるつ^^.」

赤くて小さいものが突撃してきて、下腹にまっすぐ突き刺さった。不意打ちで

あるといぅ一点を除いても、勢いの乗った、実に良い体当たりだった。腹の中の

ものが全部飛び出してしまいそぅな衝撃。身をょじりながら、食後の時間帯でな

くて本当にょかったなどと思ったりする。

それから少し遅れて、蒼くてこれまた小さいものが、「ふぇどる一」と後に続

いた。てててと駆け寄ってきて、腰に抱きついてくる。先の大砲めいた一撃に比

つ、

ベると、実に可愛らしいものだ。

「リンゴ、君、ねぇ......」

危ないからそぅいぅのはやめろ、と説教をするつもりで名前を呼んだ。

きょとんとした目で見上げられて、その気が失せた。

г……元気なのはいいけど、少し手加減してくれないかな」

「あぃあ!」

めちゃくちゃ元気の良い返事が戻ってきた。それから少し遅れて、「あいあ」

とマシュマロも続く。たぶん、いや絶対に、二人とも話を理解していない。

幼いとはいえ、将来は浮遊大陸群の未来を背負って立つであろう兵士のタマゴ

達だ◦元気が溢れているということ自体は、喜ばしくも頼もしい。そういう意味

では、この状況、前向きにとらえることもできそうな気はするが。

(その元気に付き合うほうはたまったもんじゃないよな......)

持久力にはあまり自信がない。フエォドールが特別に虚弱だというわけではな

く、堕鬼の一族という種族自体に、体格や体力との縁がないのだ。

なにせ口車を駆使し他者を利用して生きることが大前提の生き物だ◦_分の体

を動かすことは基本的に恥だというひねくれた道徳が血に染みついている。いざ

という時の切り札として剣を修めたりするのはまだ良しとしても、負荷を積み立

てて筋肉や心肺を鍛えるということがなかなかできない。困った話だ。

などということを考えながら、

「二人で手いっばいだ。君は来ないでくれよ、パニバル」

自分の死角に向かって、そんな声を投げる。

「……何だ、駄目なのか」

意外そうな声。本格的なタックルの準備姿勢に入っていたパニバルが、構えを

解く。

「どうして許されうると思ったのかを知りたいよ」

「そこはあれだ。君の心の広さを信頼していたのだがな」

信頼。なるほど、とても便利な言葉だ。ははは。

「心はともかく、体のほうはもう満員だよ」

ひしっとフエオドールの腰にしがみついたまま、二人はなかなか離れない。ま

るで蛇か何かに捕食されている気分だと思った。

「男子たるもの、少々の無理はできて当然というものでは?」

「そういうのは自発的にこっそり誇るもので、誰かに言われてやるものじゃない

んだよ」

そう軽口を返したところで、ふと思う。

「パニバル。もしかして君、今日、機嫌が悪い?」

「ふむ? どうしてそう思うんだ?」

「いや、なんとなくとしか言いようがないんだけど」

強いて理由を挙げるなら、いつもの不敵な笑みに余裕がないというか、言葉の

端々に妙な棘のようなものを感じるとか、そのくらいだろうか。

「ふうむ……自覚は薄かったが、確かに私は今、少々不機嫌になっていたかもし

れない」

え、ほんとに。

「何せ、先ほどようやくその二人が、私の読み聞かせる話に耳を傾けかけていた

のだ」

パニバルが床の上から絵本を拾い上げる。

「それが、君が来たとたんに、この始末だ。私は今、少し妬いている」

不満を自覚したからだろう、小さく唇を尖らせているのが見える。

「あ一」なるほとそういうこと力と納得 「リンコ? マシユマロ?」

て、、、

咎めるように、少し強い口調で名前を呼んでみた。が、「あぅあ!」と元気の

よい声が返ってくるだけ。

話を逸らしたほうがよさそうだと思う。

「-ここには、君だけ?他の三人は?」

「ああ◦ラキシュが少し調子を崩したようだったのでね、医務室に押し込んでき

た」

「それって、大丈夫なものなの?」

「心配いらない、というのがラキシュ当人の弁だったな」

(心配いらない……ねえ?)

黄金妖精の口にするその言葉を信用していいものかどうか、少し迷う。

「私たちの目にも、体に大きな異常があったようには見えなかったよ。医務室に

行かせたのは念のためと、少し休息をとらせるためだ。何せ」

ちらり、リンゴとマシュマロに目をやつて、

「この部屋にいたのでは、安息による体力の回復は望めない」

何せ、いま現在進行形で、フエォドールが体力を削られている真っ最中であ

る。実に説得力の感じられる一言だった。

「......ティアットとコロンは?」

「さきほど一位武官に呼び出されて出ていったよ」

「へえ?」

四人娘の中の二人だけに、一体どういう用事があるというのだろうか。やは

り、暴れて何かを壊して、お叱りの言葉をもらっているとかだろうか。だとする

と、形式上の上司であるところの自分に飛び火が来たらいやだなあと思う。

「ふえと ふえと^-るう^」

そうこうしているうちに、フエオドールを締め上げていたリンゴたちは、どう

やら新たな遊びに目覚めたらしい。実に楽しそうに、ばしばしと力いっぱい手の

ひらをこちらの太ももに叩きつけてきている。

小さな子供の腕力とはいえ、けっこう痛い。

「......これってやっぱり、おなかすいてるから暴れてる系?」

「さて、どうだろうな」

ふっ、とパニバルは小さく笑う。

「どちらかというと、お気に入りのォモチャが来て舞い上がっているょうだな」

「いや、ォモチャって君ね」

「否定はできまい?」

できない。ああ、まったくもって、その通りだ。

太もも叩きに飽きた二人のちびっこどもが、軍服のズボンを摑んで登頂を試み

始めた。放っておくと生地が伸びてしまいそうだったので、仕方なくフエォドー

ルは両腕で二人を抱き上げた。

「ううあ.一っ」

思いきりテンションの上がったリンゴが、勢いよく両腕を振り回す。

マシュマロは、至近距離に近づいたフエオドールの髪の毛をひっつかみ、思い

きり引っ張り始める。

「痛い、痛い痛い痛いこらやめろって二人とも」

「若い雌性体にここまで熱烈に愛されているんだ、嬉しいだろう?」

г若さにも愛情アピールにも、常識的な限度ってものがあると思うんだよ

ねっР:」

半分以上本音の悲鳴をあげる。

「それと、何度でも言うけど徴無しの子は何歳だろうと僕の趣味じゃな——、っ

てこら髪の毛抜くなよП て、こら、嚙むなР:」

「おお——そういえば、相手を食べてしまいたいと感じるのは愛情の中でも最高

のものだと、私たちの育ての母のような女が言っていたぞ。本当に君は愛されて

いるのだな」

「喰人鬼の理屈を一般論めかして語るなよ!」

「何だ、知っていたのか」

「最初に聞いた時には嘘だろって思ったけど、君たちの浮き世離れっぷりを見て

ると納得できるねって痛い痛い痛いП」

シャレにならない痛みに、じたばたとのたうちまわる。フエオドールが体をよ

じるそのたびに、振り回される二人は楽しそうにきやっきやと笑う。

「眼鏡ずれる、ずれる、落ちるП危ないって!」

楽しいのは、きつと、いいことだ。

そしてきつと、大切なことでもあるのだ。

けれど、時と場合と限界と節度は、ちょっびり考えて欲しいかなとか。

「だから痛いって言っであだだだだだぁ-っ!?:」

この部屋は、兵舎の三階の奥の方にある。

いまいち使い勝手の悪い一角だから、もともとはほとんど使われていなかつた

場所だ。今も、隣接する数部屋は無人の物置である◦つまり、多少子供たちが暴

れても、あるいは多少フヱォドールが悲鳴をあげても、誰にも迷惑はかからな

V

「耳つ! 耳つ!Шの耳いつП」

懐かれている、と言えば聞こえはいい。

しかし彼女たちは、まったくフエオドールの言うことを聞いてくれない。着替

えさせようとしても暴れる、寝付かせようとしてもしがみついてくる、食事をさ

せようとしても嫌いなものを食べようとしない。

そういう一連の世話は、コロンが得意だった。暴れようとするエネルギ^ —をは

ぱっといなして、手品のように着替えさせたり寝付かせたりしていた。精神年齢

が近いのかもしれない。あるいは、群れのボスには逆らえない一種の動物のよう

な何かがあるのか。

コロンの次には、ラキシュが上手だ。彼女はなんというか、ヮガママ放題の子

供の扱いにとても慣れているようだった◦その理由については……彼女の友人た

ち全員の名誉のためにも、あまり追及しないでおいてあげたい。

医務室に、様子を見に行った。

ラキシュ•ニクス•セニオリスは、毛布の上にノートを広げに何やら書きつけ

ている最中のようだった。開いていた扉を指の背でノックしてやると、慌てたよ

うに顔を上げてこちらを見る。

「フヱオド• ~ルさん」

「具合はどう? 調子を崩したって聞いたけど」

「全然全然問題ないですょ、パニバルが心配するからここにいますけど」

答えながら、ラキシュはさりげなくノートを閉じる。

「ほんとは今すぐ起きても大丈夫なんです◦けど、せっかくだから、少しサボら

せてもらおう力なつて」

小さく、そしていたずらっぽく、舌を出す。

「ラキシュさん、不良だ」

「はいっ、実はそうなんです」

なぜそこで、嬉しそうに頷くかな。

「マシュマロたち、どうですか? ちやんとおとなしくしてましたか?」

「ものすごく元気だったよ」

力を込めて答えた。

「暴れ疲れて、今はパニバルを入れた三人で昼寝中だ。……寝顔だけを見れば

可愛いんだけどな、三人とも」

ぶつ、とラキシュが小さく吹き出した。

「どぅしたの」

「三人とも、なんですね」

「何かおかしかった?」

「いえいえいえ、なぁんにも、です」

妙にお姉さんぶった口ぶりでごまかされた。少しむっとした。

「-そぅいえばさ」ふと思い出したことを尋ねてみる「聞きたいこと、あつた

んだ。リンゴたち、見たところ、二歳か三歳くらい……だよね?」

「え?」

「立つて歩いてるし、ちよつとだけど喋つてるし、よく食べるし」

それと、走るし、突撃するし、しがみつくし、叩くし、引つ張るし、嚙むし。

「どう見たつて、生まれたての赤んぼうつて感じじゃない。僕たちがあの森から

連れ出すまで、どうやつて生きてたのさ?」

「あ......と、そうですね。えと、ええと......」

ラキシュは少し考えて、

「他の種族の方々の基準で二歳くらい、なのは確かだと思います。でも、わたし

たちにとつての生まれたては、だいたいあの子たちくらいの大きさなんですよ」

「は?」

「妖精がどういうものなのかについては、ご存じなんですよね?

わたしたちの源は、子供の魂です。だから最初から、子供として生まれるんで

す。それでもちょっとだけ、個人差はあるんですょ◦あの二人は、どちらかとい

うと、生まれたての妖精としては小さいほう」

「え?」

なんだそりやと呆れると同時に、なるほどと思う自分もいる◦両親から生まれ

てくるわけではない命であれば、まっとうな生まれ方をゼロから迪る必要もな

V

どうしても胸の奥に湧き上がってくる、大きな違和感と、わずかな嫌悪感。

生命の真似をしているだけの、まったく別の何か◦存在しているだけで生命を

冒瀆している-彼女たちのそんな自虐的な考え方も、なるほど、そう言われて

みれば正しいょうに^えてきてしまう。

「それじゃ、君たちのプロフィールにあった十四歳ってのは」

書類上の年齢は、生まれてからの月日を数えたものであるはず。ならば、三歳

くらいの子供として生まれたラキシュたちは、いまは十七歳相当ということにな

るのか。ティアットだけはもう十五歳と記載されていたから、十八歳相当になっ

てしまうのか。

浮遊大陸群には様々な種族が混在している。その寿命も千差万別だ。ひとつの

個体で三百年以上生きる貴翼種のような連中もいれば、数年ほどで命を閉じる

鼠象種などもいる◦だから、異種族同士の心身の成長速度を比べ合うことには、

あまり意味がない。

しかしそれでも、徴無しに属する諸種族には、だいたい寿命も成長速度も似た

ようなものになる傾向がある。どこぞの学者の研究によれば、かつて地上に栄え

ていたといぅあの伝説の人間種も、似たょぅなものだったとかなんとか。

だから、黄金妖精の十八歳は、堕鬼種の十八歳と、だいたい同じくらいの体格

であっておかしくないはず……なのだけど。

「えと、ええとですね◦ナィグラートさん......わたしたちの面倒をみてくれてい

る喰人鬼の方に言わせると、妖精は、思春期に入るくらいまでは、ちょっと成長

が遅いみたいなんです。今のわたしくらいの年になると、だいたい平均的な

徴無しの種族の子供と同じくらいになってるんだとか……」

「ああ、なるほど」

深く納得した。そして安心した。

まぁ、彼女たちの体格が十四や十五の娘にふさわしいものかと言えば、それは

それで疑問が残らないわけでもないが。その辺りまでは、さすがに追及しないで

おこう。

そんなフエォドールの心中を知ってか知らずか、ラキシュは寂しげに笑って、

「もうちよっとくらいは、大人っぽくなりたいとは思ってるんですけ-」

と——その肩が一度、激しく揺れる。

ラキシュの手が弾けるように動き、吐き気でも抑えるかのように自分の口元に

叩きつけられた。

「う……っく……」

「ラキシュさんР:」

ベッドから崩れ落ちそうになった少女の小さな体を、慌てて支える。

「だい……丈夫、です……」途切れ途切れの声で、ラキシュは答える「心配……

しないでください……」

「説得力がない!」

叫ぶように言い放ちつつ、素早くラキシュの額や手首を確認。

「熱はない……脈も、おかしくなつてたりはしない……」

「だ、だから、大丈夫ですから」

「大丈夫って顔してないから!」

先日ティアットと剣をぶつけ合った時に、彼女たち黄金妖精の性質のようなも

のをひとつ学んでいた。彼女たちは、意味もなく我慢強い。

だから、すぐに自分の体や心の痛みを抑え込んで、とにかく強がる。

Рこま

そのくせして、噓をつくこと自体がへたくそだ。自分自身を騙すことはできて

も、周りの者を説得できるほどの演技ができない◦まして、噓つき堕鬼種である

フエオ^ルの目には、よけいに痛々しさを増して見えてしまう。

浅い呼吸を数度重ねる程度の時間しか、経っていなかったょうに思う。

「本当に心配しなくていいですから」

ラキシュの体の震えは、止まっていた。

顔色も、少しはましになっていた。

顔を伏せ、垂れた前髪で目もとを隠したまま、目を合わせずにラキシュは言

う。

「驚かせてすみません◦これ、妖精特有の発作みたいなものなんです◦体調には

そんなに影響出ないし、これで死んじやうとかそういうことはないですから」

本当のことを全て語っているわけでは、なさそうだった。

けれどそれでも、少なくともその言葉の中には、嘘はなさそうに聞こえた。

5•テイアット

腹立たしい、とテイアット•シバ•イグナレオは思う。

ちょつとでも気を抜くと、すぐにあの日のことを思い出してしまう。

決死の覚悟を固めて戦場に向かった、あの日のことだ。

あの時のテイアットは、生きて帰るつもりが、毛頭なかった◦何があろうと前

に進み続け、最後の瞬間まで妖精兵として戦うつもりでいた。

妖精兵ひとりの命だけと引き換えに、護翼軍は〈重く留まる十一番目の獣〉の

情報を得る◦それは世界を滅ぼす〈十七種の獣〉の一種であり、正体不明の化け

物だ。不死で不滅、接触しているあらゆるものに侵食し同化する、衝撃を受けた

ら侵食を進めるエネルギーに転化してしまぅ……そんな理不尽の塊に抗ぅ手段を

見つける糸口になるつもりだった。

そぅやって意義ある死を迎え入れることで、なりたいものになれなかった自分

の生にも、それなりの価値が生まれるのではないか◦そんな感じのことを考えて

いたのだ。

なのに。

戦いが終わったその時に、ティアットはまだ死んではいなかった。

そして、戦いから半月ほどが経った今も、同棣だった。

——君たちの、邪魔をしてやる。

護翼軍の兵として訓練をしたり、三か月先の作戦行動の準備をしたり、食堂の

ランチをなんとかおいしく食べようと四苦八苦してみたり、街に出て甘いものを

買い食いしてみたり。そんな、それまで通りの日々の中、どうしても、あの時の

ことを-あいつのことを思い出してしまう。

ティアットたち妖精兵よりも、ずっとずっと弱いくせに。自分たちが、これま

で妖精たちを犠牲にしながら生きてきた立場にあるのだと、よく理解しているく

せに。

それでもなお、ティアットが命を投げ出すことを許さなかった。

撥ねつけて、立ちふさがって、勝ち誇ったような顔で笑って。

そして……そうだ。説得されたわけでも納得したわけでもないのに、気がつい

た時にはもう、死に損ねていた。

フェオドール•ジェスマン四位武官。

誰かを騙し、何かから逃げ回ることのみに長けた、不誠実な種族の少年。

おいしいものに詳しくて、そこそこ戦闘に長けているけれどそこそこしか強く

なくて、他のやつには愛想がいいのになぜかティアットに対しては本音をぶつけ

てきて、もしかしたら本当はちょっと優しいやつかもしれなくて、でもひとの気

持ちとか覚悟とかに無頓着で。一生懸命な姿はちょっとかっこいいかもとか思え

なくもなくて。でもその一生懸命さは、こっちのやろぅとしていることを邪魔す

るために発揮されているわけで。

ティアットが彼のことを考え始めると、いろいろな感情がごちゃごちゃと湧き

上がってきて、心の収拾がつかなくなる。だから彼女は、彼に向けた自分の感情

を、その四文字に押し込めることに決めた。

あいつは、むかつくやつだ。

だから、ティアット•シバ•ィグナレオは、あいつのことが、大嫌いなのだ

-と。

fT

「どうした?」

どこかとぼけたような声で問われて、我に返る。

辺りを見回す——までもなく、自分のいるところは明白だった。第五師団の総

団長室。目の前には茶色い鱗と軍服に身を包んだ、ずんぐりとした獣人——

被甲人——の一位武官。目の上に少しまぶたがかかっているせいで、いつも眼そ

うに見える。

「あ、いえ、何でもないです」

「寝不足か?」

「ためだぞ!」コロンがなぜか自慢げに胸を張る「兵士たるもの、たいちょ一の

かんりも仕寧のうちなんだからな!」

この子はいつも元気そうだな、と思う。そういうところが、素直にすごいと思

、っ0

もちろん、いつも元気そうだということと、いつも元気だということとは、決

して同じではない。両者の間には、深くて広い溝が刻まれているのだけれど。

「ま、それを言い出したら、体調管理が仕事に入らない職業なんて世の中ほとん

どないんだけどな」

こりこりと額のあたりの鱗を搔きながら、一位武官がどうでもいいことを言

「連日呼びつけるような形になつてすまんね。いろいろと忙しいだろうとわかつ

ちやいるんだが、他に任せられないようなアクシデントが続いてる」

「いえ、大丈夫です、が……」

他に任せられない、という言葉が、少し気にかかった。

「おまえさんたちに来てもらったのは他でもない、ちよいと特殊な任務に就いて

もらうためだ。一時的にフェオドール•ジェスマン四位武官の指揮下から外れ、

今回特別編制されるチームに参加してもらう」

「え……あ、はい、わかりました」

ティアットは頷いた。

「しばらくはそちらのチームだけで行動してもらうことになる◦他チ^ムとの接

触に関しても、かなりの制限を受けることになるだろう」

「X.-—」

「こら、コロン。......すみません一位武官」

コロンと自分、二人だけがこの場所に呼ばれた以上、そんな感じのことを言わ

れるであろうことは、予想していた。だから、驚きは特に感じなかった。

そっか。やっぱり、あいつとはしばらくお別れなんだ。

残念とか寂しいとか、そういう気持ちは特にない◦と思う。けれど、少しだけ

面白くないような感じは、なくもないような。いや、それを認めるのはやっぱり

悔しいので、せいせいしたとかざまあみろとか、そんな感じに考えていることに

しておこう。うん、そうしよう。

「でも、大丈夫なんですか?わたしたち、徴無しで妖精で相当兵ですよ。あの

バ、フエオドール四位武官はともかく、他の指揮官の下でうまく兵士として機能

するかは未知数……というか、正直ちょっと自信がないんですが」

徴無しに属する種族は、世間一般的に、特に獣人に、嫌われがちだ。この第五

師団の兵士たちは全体的に好意的に受け入れてくれている——当人たちもまた世

間からはみ出したタィプの者が多いからだろうか——けれど、それでもやはり、

不和のもとであることに変わりはない。

なにせ、黄金妖精は、秘密兵器である◦その存在は原則的に秘匿されており、

護翼軍の中でも知る者は一握り◦不安定な生命ゆえに爆発的な魔力を熾せる資質

を持っており、条件を満たせば自分自身を大爆発させることもできる。そのた

め、チームの仲間に正体がバレると、たぶん怖がられたり嫌がられたりする。

だってそうだろう。いつ火のつくかわからない爆弾と一緒に仕事をしたがるやつ

なんて、たぶんいない。

そしてもちろん、自分たちは相当兵。もちろん兵士としての訓練も積んではい

るが、正規の兵士からの信頼を勝ち得られるかは別問題。下手をしたら、いるだ

けでチームの足を引っ張りかねないのではないか——などなどと。

「そのへんは問題ない。指揮を担当する者が名指しでおまえたちを呼んだ」

「へ?」かくんとティアットの首が落ち、

「ほう?」なぜか嬉しそうに、コロンがまばたきをひとつ。

「任務の内容は——まあ、あれだ。違法な兵器が怪しい連中の手で市内に持ち込

まれたので、使われる前に回収しろって感じのやつだ」

「はあ」

ピンとこなかつたので、生返事をしてしまう。

少し考えて、どこかおかしいなと思い至る。

「それは、うちではなく、憲兵科の仕事では?」

「もちろん連中も動いているぞ」一位武官は頷いて「別の容疑でだが、その怪し

い連中を追っている最中だ」

「じゃあ、わたしたちの出番、ありませんよね?」

「残念ながら、そうもいかん。肝心の兵器について、憲兵連中は手出しができ

ん」

「......よくわかりません」

違法な兵器の持ち込みといったら、もちろん違法な行為だろう。違法な行為を

憲兵科が取り締まって、何が問題になるというのか◦なぜ、わざわざ別の容疑で

追うなどという遠回りなことをしているのか。

そうやってティアットが首をかしげる横で、

「ひみつ兵器」

ふむう、とコロンが腕を組んだ。

「察しがいいな、その通りだ」

一位武官が頷いた。

г……え。もしかして、今ので何かわかったの?」

うむ、とコロンが頷く。

「違法な兵器というのは、ひかえめな言い方。持ったりつかったりが禁止されて

る、いわゆるふつうの『違法』とは、ちょっと中身がちがうはず、です、ょ

ね?」

ちらりと、一位武官の顔を見る◦鱗に覆われた被甲人の表情は読みにくいけれ

ど、口を挟んでこないということは、ここまでは正しいのだろうか。

コロンは続ける。

「たぶん、もつと、危ないもの。そこにあると認めちやいけないくらいの、なに

か。それなら、憲兵があつかっちやいけない理由も説明できるし……あたしたち

がよばれる理由も、わかる」

「ぁ」

——ああ、なるほど。

存在自体を隠さなければいけないようなモノを追うなら確かに、憲兵科は不向

きだ。彼らの捜査は目立つし、規律も行き届いている。効率的である反面、当然

ながら融通は利かない。書類に残せないような事件に関わらせるべきではない。

そういう場合に使うべきは、少人数で小回りがきき、かつ行動に融通もきくィ

レギュラ^な兵士を集めたチ^ムということになる。なるほどなるほど、それが

つまり今の自分たちに求められている働きだということか。

言われれば、理解できる。

言われなければ、理解できなかった。

(ほんと、わたし、察し悪いなあ)

溜息をつきたくなつたのを、なんとかこらえる。昔からこうなのだ。いろいろ

と勉強をした。筋道だてた考え方も学んだ◦なのに、いつもいつも、話の本質を

見抜けない。

かつこわるいなあ、と思う。

一人前の妖精兵に……かっこいい大人になりたくて、ずっとがんばってきて、

そのあげくがこれだ。憧れた先輩の背中はやっぱり遠すぎて、追いつける気がし

なくて。

それどころか、ちょつと年下のはずのコロンにもパニバルにもラキシュにも、

追いつかれて追い抜かれてどんどん距離を離されているょうな気がして。

そんなことを考えていたら、半月前のあの時の、フエォドールの偉そうな笑い

顔を思い出してしまい、

(......ふんっ)

むかついてきたので、それ以上考えるのを止めた。

廊下のほうから、からからと何かが回るような音が聞こえてくる。音は近づ

き、扉の前で止まる。ノックの後に、「客人をお連れしましたぁ」と気の抜けた

声。

ティアットにも、聞き覚えのある声だった。確か名前は、ナックス•セルゼル

上等兵。つかみどころのない性格をした、鷹翼種の青年だ。

「通せ」

一位武官が頷き、扉が開く。

からからという音が、部屋の中に入ってくる。

「......え?一

「……ほ?」

テイアットとコロン、二人が並んで目を丸くした_

つか

「ぁ一、久しぶり。長旅で疲れているだろうに、呼びつけて悪いね」

一位武官が煙草を灰皿に押し付けながら、妙に親し気なことを言い出した。

音の正体は、ナックス上等兵に押された、一台の車椅子だった。

そして一位武官が話しかけた先は、その車椅子に座る、一人の女性だった。

干し草が陽に褪せたょうな、薄い金色の髪。

外見の年齢は二十前後といったところ。

褪せた色の金髪に、同じ色の瞳◦触れれば折れそうな細い体躯に、どことなく

_げな雰囲気をまとわせている。

女性は、ほっそりとした片手を上げると、小さく左右に振って、

「や一、ほんと久しぶりっすね、おじさん。もう、二年ぶりくらいになるっす

か?」

明るい笑顔と声で、そう言った。

「テイアットとコロンも、まだ元気そうで何よりっすよ。その顔をまた見れただ

けでも、飛空艇に揺られまくった甲斐があったってもんすねぇ」

「あ......ああ......」

「あ?」

「アイセア……先輩?」

「うい、っい。みんなのアイセア•マイゼ•ヴァルガリスっすよ?」

その女性は、いたずらに成功した子供のように笑う。

アイセア•マイゼ•ヴァルガリス◦現在生きている妖精兵の中では最年長にあ

たる、古参の妖精兵。かつての戦いの中で魔力を熾しすぎて体を壊し、五年前、

あのエルビス事変の頃には、ついに戦うこと自体ができなくなった。

なんでかわからないけれど博識で、意地悪な方向に特化して聡明で、何かにつ

けて後輩の世代をからかって遊んでいた。テイアットにとっては、そんな困った

先輩だ。

今は、半ば引退したょうな立場で、本を読んだり妖精の子供たちの相手をしな

がら日々を過ごしていた——はずなのだが。

「い、一位武官。これはいったい、どういう……」

「いやほら、さっき言っただろ。指揮を担当する者が、おまえたちを名指しで呼

んだって。それが彼女」

「指揮」

おうむ返しに尋ねたら、

「指揮」

深々と頷かれた。

「ま、そんなわけだから、自己紹介とかはいらないな。今回の問題に関しては彼

女が全権を委任されているし、あくまでも一時的な処置としてだが二位武官相当

の権限を与えられてもいる。三人とも、以後はアィセアの指示に従うように」

まだうまく復活していない脳みそのすみつこのほうで、「三人?」という疑問

が持ち上がった。が、

「あ、やっぱ俺もなんすか?」

「どうやらお前もだ、ナックス•セルゼル。理由は分からんが、それもそこのア

ィセアのご指名でな」

「へぇ」

鷹翼種の目がアィセアに落ちる。

「美しいだけでなく、実に鋭い瞳だ◦数ある猛者たちの中からこの俺を見出した

こと、実に光栄、……ですが」

絵に描いたような薄っぺらい笑顔を張り付けて、誠意のかけらも感じられない

口ぶりで、へらりと尋ねる。

「どういう縁を迪って俺に目をとめたものか、伺ってもよろしいですかね?」

「ん一、この場で言っちやっていいんすか?」

「場所を選ぶような理由でも?」

「そうっすね。ざっくり言えば、『オルランドリの底抜けバケッ』」

ナックスの表情が、軽薄な笑みを浮かべたまま、硬直した。

「『ティン•ハ^クの王子様と憂1Шな窓ガラス』も、知つてるつすょね?」

「だああああР:」

硬直は一瞬で解けた。

「分かった!超分かった!なんで俺を選んだのかも俺に何をさせたいのかも

心底から理解した!だからナシな、それ以上言うのはナシなР:」

「いや一、話が早くて助かったっすょ一」

ナックスの顔面は完全に蒼白◦対するアィセアは、からからと楽しそうに笑

、っ0

「ふ一む」一位武官が丸い目をきょろりと回し、「今の、バケッがどうのって

話。なんか面白そうだし、俺にも教えてくんない?」

「え一とっすね、四年前のオルランドリ商会の決算期にもご」

「だあああああああ”“」

取り乱さんばかりのナックスの手が、アィセアの口を覆っている。

「つまらない話ですよつまらない話!そんなことより先の話をしましよぅ一位

武官、俺たちが手を取り目指すべき、輝かしきシャィニング未来の話とかを!」

「もご-」

「ふ一ん。まあ、当事者がそ、っ言、っなら、それでもいいけどさ」

一位武官が煙草をくわえ、火をつけ、深く吸って、ぶはぁと吐いて、

「副業はほどほどにしとけよ、あまり目立つよぅなら首を劍ねにやならなくな

る」

「分かってんじやね一かよお丨!?:」

涙ながらの叫び。

にゃははははとアイセアが笑、っ。やれやれと一位武官が首を振る。

「............はぁ」

テイアットには、その一連のやりとりが、よく分からない。分かることは、せ

いぜい、自分とコロンとナックス上等兵が、アイセア先輩の指揮下でチームに

なって何かをすることになったらしい……という程度。

ちらりとコロンを見てみたら、わはははと楽しそうに笑っていた。いつも朗ら

かな子なので、状況を理解した上で楽しんでいるのかはちよっと分からない。

「難しい顔してるっすね、テイアット?」

「はぁ」

テイアットの当惑を知ってか知らずか、アイセアはにこにこと笑っている◦同

じように日常化した笑顔でも、コロンのそれとはまるで意味合いが違う。心中を

隠すために被る、仮面としての笑顔。

変わらないなあ、このひと。

テイアットはこの先輩のことが苦手だった。悪い人ではないのだということく

らいは分かっていたし、彼女なりのやりかたで後輩たちのことを想ってくれてい

るのだというのも理解しているのだけれど。いまいち気を許せないというか、本

人が気を許し合うことを拒絶しているような印象を受けるというか。

しかし、それでも。

「二人ともこつち力む力む」

手招きされて、テイアットとコロンはアイセアのすぐ傍に近寄る。

さらに手招きされて、ちよっとだけかがみ込む。

アイセアの両腕が、二人をまとめて、そっと抱きしめた。

「-ほんと、自分でも何を今さらって思ってるっすけど」ささやくような、少

し震えた声を聞く「無事な姿を見られて……ほんと、嬉しいっすよ……」

コロンと視線を交わしてから、二人それぞれ片腕を回し、アイセアを抱きしめ

返す。

「先輩、こそ。お元気なようで、よかったです」

「なはは……それだけが取り柄、みたいな感じになってるっすね、最近」

「けんきなのが、いちばん大事だ」

「そうっすね。あたしは幸せ者っすよ」

ぎゅっと力が込められたのは、自分かアイセアかコロンか、誰の腕だったの

やっぱりわたし、この先輩、苦手だ——テイアットは改めて、そんなことを思

、っ0

ずるいじやないか、と思う。いつもいつも人をおちよくるようなことを言つ

て、なかなか素顔を見せないで◦なのにこんなときにだけ、不意打ちで本音をぶ

つけてくる。こんなに大事に想われてるなんてことを思い出されたら、こっち

だって、強がってばかりではいられなくなる。この人に甘えていられた、幼かっ

たころの自分が帰ってきてしまぅ。

ぐじ、と、鼻の奥が小さく鳴ったのを、ティアットは息を止めてやり過ごし

た。

fT

四人で部屋を辞して、廊下を往く。

「急で悪いっすけど、全員このまま任務に直行してもらぅっすょ。時間もない

し、どこに誰の目と耳があるかもわからないっすからね」

このまま直行。

なるほど、言われてみれば、それも当然か。

「む。ラキシュたちに挨拶くらい、だめか」

「申し訳ないけど、許可できないっす」

「むう」

コロンが不服そうに腕を組むが、駄々をこねたりはしない。

何せそう言うアィセア自身が、誰ょりもあの二人に会いたいと思っているに決

まっているのだ。まさかその目の前で、聞き分けのない真似などできるはずがな

V

「着替えくらいは部屋から持ってきていいか?」

「却下っす◦支給品は現地に届けてもらう手答になってるから心配はご無用っす

「あ•、そう力い」

ナックスががっくりと肩を落とす。

ァィセァの言うには、自分たちはこのまま港湾区画に向かい、38番浮遊島の外

に出る-という体裁を作っておいて、そのままラィエル市内に潜伏する。ここ

にいないはずの戦力として、敵組織の警戒を誘わない形で任務を開始する……と

のこと。

なるほどそれなら、今ここでうかつな行動をとるわけにはいかない。

道理だ。道理には従わないといけない。

「一位武官から聞きましたか? マシュマロとリンゴの話」

だからティアットは、通らないヮガママを繰り返したりはしない。

「ぁ一......」

アィセアは、どことなく寂しげに顔を伏せる。

「例のニュ^^ちびっこ共っすね。聞いたっすよ。できることなら行ってきますく

らい言わせてあげたいし、あたしも顔を見に行きたいとこなんすけどね」

「生意気な子たちです、すっごく」

「にやは」寂しげな雰囲気はそのままに、明るい笑顔「よりにもよって、あんた

がそれ言ぅかって感じっすねぇ」

む。それはちよっと、むかつくけれど否定がしづらい。

「ティアットは、お小言言いすぎ◦だから逃げられる」

「だ、だって、誰かが叱ってあげなきや、いろいろ覚えないじやない!ラキ

シュは優しすぎるしパニバルは変なことばつか教えるしコロンは一緒になって遊

んでるし^」

「おう、子供は遊ぶのが仕事だ!」

「開き直つてないで、自分でもいろいろ覚えてしつかりして!」

わははは一、とコロンは笑つてごまかす。

「それにしても、ひつどい名前つすよね。誰が考えたんすか?」

その質問に対しては、黙秘を貫いた。フエォドール以外の満場一致であつたな

どと正直に教えたら、絶対にこの人は意地悪く笑う。

「そういえば、マシャも夢をみたつすよ」

そのひとことを聞いて、浮かべたばかりの笑みを、すぐにまた凍り付かせた。

マシャ。それは妖精倉庫にいる、幼い後輩の名前である。十二歳。

そしてもちろん、ここでいう「夢」というのは、いわゆる普通のものではな

い。体験したら必ずそうなのだと気づけるくらいに、異常で特別なもの。未練を

残した死者の魂が実体化したものだという黄金妖精が、かつてその魂が抱えてい

た記憶や思念と繫がり始める証だ。

それは、幼体が成体に変わろうとしていることであり、妖精兵として戦う資格

を得つつあるということである。具体的には、夢をみた幼体妖精の身体は、11番

浮遊島にある施設で調整されることで、成体妖精兵になる資格を得る。

「アルミタのほうは、どうしてますか?」

ティアットは尋ねた。

これもまた、妖精倉庫にいる後輩の名前だ◦先のマシャとほぼ同世代だが、

「夢」をみたのは一年近く前。

「あたしの知る限り、まだ元気っすよ◦もらった薬も、今はまだ効果を発揮して

る」

ただ、と、アィセアは力なく笑いながら付け加える。

「効き目は少しずつ落ちてきてる。それに、これからはマシャにも同じ薬が必要

になる。今はまだ大丈夫だけど、いずれ数が足りなくなるかもっすね」

「例の偉いひとたち……将官でしたっけ? 何て言ってます?」

「相変わらず、いがみ合いの毎日みたいっすね。ょく言えば現状勝持、悪く言え

ば進展なし。やっぱ大賢者の不在は大きいっすょ」

やっぱり、そぅなのか。

ティアットは内心で嘆息する◦時間が解決してくれる問題ではないとわかって

いた。待てば待つだけ事態はただ悪化していくと理解していた。期待などしてい

なかった。だから落胆などしない。絶望もしない。

ただ、焦燥だけを感じている。時間は解決してくれない。解決できるのは、自

分たちだけだ。妖精には今も兵器としての価値があるのだとはっきり示すことが

できれば、あの子たちは、生き続けることを認めてもらえるはずなのだから。だ

から-

「こら、ティアット」

コロンに、低く落ち着いた声で、名前を呼ばれた。

「焦っちやダメだぞ。先月のこと……他の二人はともかく、あたしはまだ、許し

てない」

「、っん、知ってるし、わかってる」

コロンがこんな声を出すのは、本当に真面目な話をする時だけだ。

だから、振り返らずに、そして抑揚のない声で、そぅ答える。

幼い黄金妖精は、「夢」をみたその日から、大人に近づき始める。

しかし——そもそも妖精というものは、不安定な存在だ。かつて子供の魂で

あつたということだけを拠り所に、子供の姿を摸して生まれてくる自然現象だ

(たぶん女性しかいないということの原因もその辺りにあるのだろう)。子供で

あることが大前提であるそれは、大人になどなれない。

だから、「夢」をみたその日から、妖精の命は、矛盾を抱える。その矛盾は、

時間をかけて妖精を殺す。子供でしかいられないものが子供をやめた時、そこに

は何も残らない。

しかし本来なら、そこには抜け道があるのだ。

成体妖精兵というのは、兵器として扱いやすくするための調整を施された妖精

のこと◦調整の内訳には、事故による暴走を防ぐために基礎的な魔力出力を抑え

ることや、耐用年数を少しでも伸ばすために体質をいじることなどが含まれる。

その過程を経ることで、幼い子供であった妖精たちは、思春期の心と体を得た

後も自分を維持し続けることができるようになる。

そして、もちろん。

その過程を経なければ、妖精たちは、思春期を迎えるまで生きていることがで

きない。

「〈六番目の獣〉を倒し続けてきたから、先輩たちは護翼軍に必要とされた。

ヴィレ……〈最初の獣〉を倒したから、あたしたちの世代も居場所があった。

けど、もう〈六番目〉も〈最初〉も、浮遊大陸群には攻めてこない◦アルミタ

たちが生きていくには、新しい敵と、その敵に対して妖精兵が有効だっていう証

4がぃる」

誰にも聞こえないように、小さな声で、ティアットは眩く。

「クトリ先輩だつたら……きつと、どうにかしちやつてたんだろうな」

彼女みたいに、なりたかった。

強くて、かっこよくて、後ろ姿がいつも眩しくて。

ここに彼女がいたなら、あるいは自分が彼女みたいになれていたなら、きっと

何の問題もなかったはずなのだ。妖精倉庫の未来に立ちふさがる危難など、全部

まとめてばつさばつさと薙ぎ払えていたはずなのだ。

けれど、そうはならなかった。

ティアット•シバ•ィグナレオはクトリ•ノタ•セニオリスになれなかつた。

せめてその背中に近づこうとあがいた結果も、失敗に終わった。

——君はただ、尊敬してる先輩の名前を、ドラマチックな自殺の演出に使おう

としてるだけだ。

どこかの誰かが、いつの日だったかに言っていた言葉。

(......やんなつちゃうな)

たぶん、あれは正解だ◦自分自身で答えを見つけられないから、大好きな先輩

の模範解答の真似をしょうとしている◦そんな横着を見抜かれた。

何も知らないくせに、何も分かってないくせに。何もできないくせに。

あんなやつに見抜かれてしまったことが、悔しくて情けなくて。だから。

「やつば、わたし、あいつのこと、大嫌いだ」

自分自身に言い聞かせるように、もう一度だけ、そう眩いた。

視界が狭い。

首を動力さないと周りの祿子力わ力らない。

確かに一度は「面白そう」と言っていた仮面ではあるが、実際に被ってみたと

ころ、これがまためちゃくちゃに不便なしろものだった。デザィン重視のものを

選んだせいもあるかもしれないが、目や鼻のところの穴が小さすぎるのだ。外が

よく見えないうえ、呼吸するたび息が鼻先にこもる。なかなかにしんどい。

「脱いじゃダメですよね、これ」

ニズ大竃通りとベルホック鈎螺子通りを繫ぐ小道。、っめくように、ティアット

は隣を歩くナックスに尋ねた。

「変装用だからな、我慢しょう。顔を隠して出歩いていても目立たないっての

は、隠密の任務にはちょうどいい」

もごもごとくぐもった声が返ってきた。彼は彼で、しんどい思いをしているら

しい。

「こんなに大っびらに祭りを漫喫できる機会なんてそうそうないんだ、めいっぱ

い楽しむくらいの気持ちでいたほうが楽だぜ」

「そんだけ前向きになれるなら、その時点でいろいろ楽できてそうなんですけど

ね……」

もそりと体をゆすって、外套の肩のずれを直す。この外套もけっこうな困りも

のなのだ。体格の印象を変えるためにわざと寸法の合わないものを着こんでいる

せいで、肩やら裾やらにずっと違和感がつきまとっている。ついでに言えば、生

地が分厚いせいもあって、非常に重くて暑い。

遠く、組み鐘時計の音が夕刻を告げる。

奉謝祭の期間、ラィエル市内の街灯は、淡い紫色のそれに付け替えられる◦そ

れは生死の狭間を象徴する色であるのだという。実際、夕暮れの色をべったりと

貼りつけたようなその光景は、どこかこの世のものではない雰囲気を漂わせてい

る。

まるで、童話の揷絵の中にでも入りこんでしまったような錯覚。

道行く人と、何度かすれ違う◦その誰もが白い仮面と地味な外套とを身に着け

ていて、互いの顔どころか種族すらわからない。

「-ねえ、テイアットちゃん」

ナックスが、気のない声で話しかけてくる。

「何ですか」

テイアットは、視線を足もとに向けたままで答える。

「アイセアさんつて、あれ、何歳くらいなの?」

г……わたしのょつつ上だから、十九だつたと思います」

「十九。十九ねえ……」

何やら難しい顔をして考え込む。

「意外でした?もつと上だと思つた、とか?」

「う^--^◦まあ、そういうことになるのかねえ。数字を聞いても、

とこないつてのは確かだ」

その気持ち、分からないでもないような気はする◦ティアット自身、自分と彼

女の間の人生経験が四年分しかないという事実を、ちよっと受け入れがたく思っ

ているのだ。

「いろいろ達観してる人ですから。いくつって言われても消えてなかったと思い

ますよ、その違和感」

「そういうのじやなくてさ」ナックスは頗を接きな力ら言う「なん力あの人未

亡人っぽい色気、ない?」

Sふう。

仮面の下で、派手に吹き出してしまった。

「み、みぼ!?:」

「あ一、身内の子の前で言うことじゃなかったね。ごめんよ」

「あ、いえその、今のはそういう理由じゃなくてですね」

どうしよう。妙に納得できてしまった。ここ数年でアィセア•マィゼ•ヴァル

ガリスが抱えるに至ったあの不思議な貫禄は、確かに、何かこう、特別な経緯が

あつたのだと考えるとしつくり来る。来てしまう。

呼吸が落ち着くまで少しだけ時間をかける。

「セルゼルさんって——」

「ナックスでいいよ、可愛い女の子には特別だ」

遮るように、そんなことを言われた。

「またまた。誰にでもそんなこと言つてるんでしよう?」

「結果的にはね。可愛くない女の子ってのがなかなかいないんだ、この世の中」

はいはい、そうですか。

ある意味筋金入りの立派な言い分なのかもしれないが、言われる側にしてみれ

ば大して面白い話でもないし、まともに付き合う義理もない。

——一瞬だけ、全ての//娘//たちに博愛を振り撒きまくっていたどこぞの父親

のことを思い出したりもしたけれど。それも、あくまでも一瞬だけの話。

「セルゼルさんって、黄金妖精のことは、知ってるんですょね?」

「あ……ああ。うん、そうだね。一通りのことは教えてもらったな」

どことなく、曖昧な返事。

黄金妖精の存在おょびその運用状況については、護翼軍の中でも一部の者しか

知らされていない。そして今回の作戦に参加するにあたって、ナックス•セルゼ

ル上等兵にはその一部の者の枠の内側に入ってもらっている。

巻き込んでしまって、少し気の毒だとは思う。こんな気の滅入る話、知らない

ままでいられたほうがいいに決まつているのだから。

「だったら知ってるでしよう? わたしたち、種族まるごと、女しかいないんで

す。未亡人どころか、結婚も恋愛も基本的には無縁なんですからね」

「基本的には、ね」

納得とも相槌ともとりづらい、妙に曖昧な返事。

「例外がありうるって時点で、そんなものはルールじやない。ルールじやないな

ら、そんなに気にするものでもないだろうさ」

「随分な極論に聞こえますけど」

呆れ半分、感心半分で、ティアットは答える。

「アイセア先輩を口説くつもりなら、ちよっとがんばらないといけませんよ◦も

のすごく手ごわい思い出を相手にしないといけませんから」

「……もしかして、未亡人ての、正解だったりした?」

「さて、どうでしよう一

肩をすくめてみせた。

fT

縦長の部屋。

扉は通路側に引くタィプ。

窓は真正面に大きなものがひとつ。鎧戸は金属製だが、軽く錡が浮いているう

えあまり頑丈そうではない。部屋の中には年季の入ったベッドがみっつと、小さ

なナィトテーブルがひとつ、やや窮屈そうに並んでいる。全体的に古めかしいそ

の空間の中で、ベッドのシーツと花瓶の花だけが、ぴかぴかと真新しい輝きを

放っていた。

市内のホテルである。

今回の任務の拠点のひとつとして割り当てられた一室。決して上等な部屋とは

言えないが、そういうことに文句を言う者はここにはいないQ

「ただいま一」

「おう、おかえり!」

部屋に入ったティアットは、抱えていた紙袋をコロンに手渡すと、仮面を外し

外套を脱いで、ベッドの上に放り出した。

「買い出し任務、無事完了しました一」

「うむ、おかえり!」

「街のほうに怪しい動きは特にありません◦まぁ、この時期のこの街は、何もか

もが妖しげになってるもんですが」

ナックスの報告を聞いて、確かにそうだ、とうなずいてみたりする。

「ときにこの部屋、防諜のほうは大丈夫つすかね?」

ベッドに腰かけたアィセアが、ナックスに向けて尋ねる。

「うちの師団が市内に抱えた隠し拠点の中では、信頼度高いほうですよ◦上下や

隣室からじゃ音は拾えないし、廊下は直線、窓の外も視界が開けてる」

肩をすくめ、ナックスは答える。

その言葉を追いかけるように、ティアットは床や天井、扉に窓を確認してみ

る。なるほどナックスの言葉の通り。この部屋での会話を外から耳で拾うのは難

しそうだ。

「窓辺で話して唇を読まれるみたいな間抜けをしなけりゃ、まず心配ないでしよ

ああ、なるほど、そういうところも警戒しないといけないのか。

内心で少し感心しつつ、ティアットはヵーテンを閉める。

「ナックス、なんかいろいろ、くわしいな!諜報部みたいだ!」

ベッドのスプリングの硬さを確かめながら、コロンが感心する。

「あ一、諜報部」当のナックスは言いにくそうに、「まぁ、ある意味似たような

ものというか、手の内だけは知ってるというか、なんというか、ね••••:」

「あちこちから情報を抜き出す手腕は、相当のものっすよね。先月の、うちの倉

庫について嗅ぎまわってた時の立ち回り、見事だったっすよ一」

「……そう簡単にアシがつくような調べ方をした覚えはないんですけどね」

「だから見事だったって言ってるんすよ。ただタィミングだけが悪かったっす

ね、こっちが備えてるところに飛び込んできた」

ナックスは忌々しそうに舌打ちをひとつ。

「最初から釣り糸を垂らして、調べに来るやつを待ち構えてたつてことですか」

「そういうことつす。もつとも、とらせるつもりのなかつたエサをしつかり持つ

てかれたんで、こつちはこつちで冷や冷やだつたんすけど」

「慰めの言葉として受け取つときますよ」

よくわからない会話を二人だけで繰り広げている。

首をひねるティアットのほうをちらりと見て、ナックスは小さく嘆息。

「とにかく、ここはそういう部屋です。話、始めましようや。俺らはいつたい、

A Jれから何をするんです?」

「あ一、そうつすね。あんまりのんびりもしてらんないつすし」

言つて、アィセアは姿勢を正し、咳払いをひとつ。

釣られて、ティアットもまた、背筋を伸ばす。

「質問はあとでまとめて受け付けるつてことで、まずは状況の説明から。このラ

イエル市内に現在、〈獣〉が最低でも三匹、持ち込まれているつす」

「はい?」

何を言われたのか、普通に理解できなかった。

〈獣〉といぅのは、もちろん〈十七種の獣〉のことだろぅ。遭遇することがその

まま死と滅びに直結する、理不尽な破壊の権化。かつてあの地上を滅ぼし、今な

お地上の支配者であり続けている者たち◦原則としてやつらは空の上には踏み込

めない、だからこそこの浮遊大陸群はいまだ存在し続けられている。

容易に制御などできる存在ではない。

少なくとも、スーツヶースにいれて持ち運べるほどお手軽な相手ではないはず

だ。

「記録を見たっすけど、先月、〈十一番目の獣〉を何者かに仕掛けられたんすょ

ね?そして、でっかい飛空艇ひとつと港湾区画の半分近くを持っていかれた」

「あ……ぅん。はい」

ティアットは頷く。

「つまり誰かが、〈十一番目の獣〉をこの島まで……もっと正確に言えば護翼軍

の飛空艇の中まで運んでのけたってことっすょね」

それは、確かにその通り。そしてそれは、本来、どぅやったところで不可能な

ことだ。

〈十一番目の獣〉は、触れたものと同化して際限なく大きくなる。手で持ち運ぼ

うとしたならば手が、鍋に入れようとしたなら鍋が、飛空艇で運ぼうとしたなら

ば飛空艇が、すぐに〈十一番目の獣〉に呑み込まれてしまうはずだ。

衝撃さえ与えなければ、侵食の速度はそれほど速くない。その間にわずかな距

離を移動することくらいはできるかもしれない......そしてそれが、常識で考えら

れる限界だ。

「それと、忘れちやいけないつすよ。五年前、そこの——」窓の外のさらに向こ

う、39番浮遊島の浮かぶ方向を示す「——島を、エルビス集商国が持ち込んだ

〈十一番目の獣〉が呑み込んだ◦つまり、地上からそこまで運び上げる技術はあ

の時点で確立していた」

「あ」

そうだ。そういうことになる。

「その技術の名前は、通称を『小瓶』。中が空洞になっている特別製の硝子玉

に、〈十一番目〉を閉じ込めておくってシロモノっす」

「ガ……硝子?え、でも、そしたらその硝子が侵食……あ……」

気づいた。

目を何度もぱちくりとさせながら、ティアットは首をひねる。

「……え、、っそ。まさか。そんな単純な手? 本当にそんなのでいけるの?」

「本当にそんなんでいけちゃうんすよ。思いつくところまではともかく、実際に

やってみようとか考えたエルビスの技術者たちは凄まじいっすね^~」

凄まじい、とかいうレベルの話だろうか。

それは思いついてはいけないことであり、考えてはならないことであり、試み

てはならないことだ。最初から最後まで禁忌のオンパレード。

「硝子がどうかしたのか?」

わかっていない様子のコロンのほうへ、ぎぎぎと首をきしませながら振り返

る。

「……硝子の作り方って、知ってる?」

「ん一」こめかみに指を押し当て、コロンは少し考える「砂を溶かして固める」

いろいろと省略されているが、大枠としては間違っていない。ティアットは頷

「じゃあ、〈十一番目の獣〉が侵食できないものについては?」

Гんん一と......石と砂......お」

コロンが目を丸くする。

「そういうこと」

ティアットは頷く。

「あの黒水晶お化けは、砂だけから作った硝子を同化することもできないはず。

理屈では。だから、小さなかけらを硝子の中に閉じ込めてしまえば、安全に持ち

運びができる」

そうしておいて、いざ使いたい時がきたら、硝子を割ればいい。

もっとも、割り方にも一工夫はいるだろう。足もとに叩きつけるなどの方法で

は、自分が逃げられない。その問題を解決するには、そう、時限式の爆弾仕掛け

か何かを使えばいい。ちょうど、先月の事件の際、正体不明の誰かがそうしてい

たよ、っに。

「それだけで、簡単に浮遊島をひとつ落とせるだけの兵器が、できあがる」

「おおおお一」

コロンが感嘆の声をあげる。

「実際には、そもそもあらゆる衝撃を吸収するあれから、どぅやってかけらを切

り出すのかみたいな問題も残ってるっすけどね。エルビスの努力家たちは、どぅ

にかしてそのへんの壁を乗り越えてみせたってわけっすょ」

苦い顔をしたアィセアが、肩をすくめる。

「そして、『小瓶』が、全部で九つ製造された」

「総数、わかってるんだ」

「押収した資料にょれば、っすけどね。信憑性はそれなりに高いっす」

九つ。それだけしかないと安心するべきなのか、それとも、そんなにあるのか

と恐怖するべきなのか◦なんとも扱いに困る数字だ。

「そのぅちひとつは五年前、39番島で割れた。別のひとつは先月、ここの島で。

残りのうちふたつは、第一師団が秘密裏に回収済み」

「おお一」

「さらに、残りのうちみっつの持ち主と、その行方についても摑めてる」

空を撫でるようなゆるやかな仕草で、アィセアの指が窓の外を示す。

「ただ、その回収は簡単じゃない。

まず、『小瓶』の存在そのものを公にできない。そんなものがまだ空の上にあ

ると世間に知られれば、エルビス事変はまだ終わっていないと護翼軍が認めるこ

とになる◦加えて、大勢でわかりやすく正面から押しかけたりしたら、追いつめ

られた連中が『小瓶』を割るかもしれない」

、っん、とティアットは頷く。

「だから、秘密を共有できる少数精鋭だけで行動。敵組織の隙をついて、うまい

こと確保するしかないって寸法っすょ」

「あの」

テイアットは片手を小さく上げて、発言権を求める。

「もしかしてこの任務、すごく危険で難しくて重要だったりする?」

「だから、そぅ言ってるじゃないっすか」

平然とした顔で、アイセアは答える。

「あ、でも、ひとつだけ気が楽になる材料はあるっすね」

なんだろぅ、とテイアットは身を乗り出した。

「本来ならひとつで浮遊島を墜とせる最終兵器が、今はここにみっつ集まって

る。仮にその硝子が全部割れたとしても、犠牲になるのはこの38番浮遊島ひとつ

だけで済む◦みっつ墜とされかねないはずのところがひとつで済むんだから、そ

れはそれで、浮遊大陸群全体から見ればおトクな話と言っていいんじゃないすか

ね?」

ぱたぱたと両手を振りながら、にやははははとアイセアは笑う。

「……なあ、テイアットちやん」

「何ですか」

「これ、つまり、絶対失敗するなって檄を飛ばされてるんだよね?」

「聞かないでください」

こめかみに指を強く押し当て頭痛を堪えながら、テイアットはうめくように答

えた。

2•ひっくり返ったおもちや箱

ティアットとコロンがいない。

任務に駆りだされたといって、突然、ょその浮遊島へと出ていった。

任務の詳細は教えてもらえなかったが、どうせ面倒なものではあるだろう。

無事でやってるだろうか、またバヵな破滅特攻をやらかしてたりしないだろう

か……などと素直に心配するのも、何となく癩だ。

だから、さっさと終わらせて帰ってこいと心のなかで悪態をつく。

そんな風にして、また何日かの時を過ごした。

t

その日、妖精部屋の扉が、小さく開けっ放しになっていた。

そのことには特に疑問を抱かず、フエォドールはノブを摑み、開いた。その向

こうにあるのはもちろん、雑多なォモチャや落書きが散らかった、いつものこの

部屋の眺め。

小さな違和感。

見慣れたはずのその光景に、何か大事なものが欠けているょうな気がしてなら

ない。目を細めて、改めて見渡す◦開きっぱなしの絵本。崩れた積み木。ひっく

り返った球形人のぬいぐるみ◦無くなったものは何もないょうに見える、けれ

ど、

……誰も、いない。

ティアットとコロンがここにいないことについては、事情がある。特別な任務

とやらに就いて、先日からこの兵舎を離れているのだ。任務の内容は知らされて

いない。危険な目に遭つちやいないだろうかという不安はあるが、たぶん大丈夫

だろう。あの二人は決して素人ではない。〈獣〉相手となると色々な意味で危

なつかしいが、それ以外のI況でどうにかなるようなこともないはずだ......そう

信じたい。

ラキシュとパニバルがここにいないのは、たぶん今が合同訓練の時間だからだ

ろう◦上等兵相当の立場で第五師団にいる彼女たちには、兵たちの基礎訓練の一

部に参加する義務がある◦だから彼女たちの姿がないことについても、特に不自

然ということはない。

問題は、残りの二人。

リンゴと、マシュマロ。

「-まさかР:」

正面のヵーテンが風にはためいていることに気付き、フエォドールは大慌てで

窓に駆け寄った。三階の高さから下を見下ろす。何もいない。周囲を見回してみ

る。見当たらない。ひとまず、ほつとする。

となると、怪しいのは、扉のほうだ。

振り返り、部屋の入り口を確認。一抱えほどの大きさの木箱が、扉のすぐ傍に

転がっている◦本来は部屋の隅で衣類を収納していたはずのそれがこんな場所に

ある、ただ部屋が散らかっているからというだけでは説明がつかない。

考えられそうなのは、そう。背の足りない小さな子供が、扉のノブを回す踏み

台にするために、この位置へと動かした……などの可能性。

「あいつらぁР:」

窓を閉める。鍵をかける。部屋を飛び出す。

子供の好奇心と行動力を、甘く見ていた。リンゴたちだけを部屋に残してい

て、大人しく留守番をしている保証などなかつたのだ。

そしてここは、軍の施設だ。当たり前だが、子供の遊び場に向いた場所ではな

い。厳重な管理下にある兵器類はともかく、気の荒い兵士がひとやまいくらでう

ろついているのだ。そんな中に徴無しの幼体なんぞが紛れ込んだら、どうなるこ

とか。

あの二人が行きそうなところはどこだろうか。

廊下を走りながら考える◦屋根の上などは怪しそうだ◦妖精は死の危険を恐れ

ないなどという話だが、そもそも幼い子供というものは最初からそういう傾向を

持ち合わせたィキモノだ。そのふたつの前提の相乗効果。リンゴとマシュマロ

は、おそらく、およそフエオドールの予想が追いつかないほど、怖いもの知らず

である可能性がある。

嫌な想像が、脳裏をよぎる。首を振って振り払うQ

足を止める。中庭の向こう側が、妙に騒がしい。

その方向には、格闘技訓練用の体練場がある。

「うおおおおおおお」

「わひゃああああ」

「........................はあ」

頭痛めいた眩暈がフエオドールを襲う。その場に倒れ込みそうになるのを、壁

に手をついて堪えた。

ちょうど今は、休憩時間であるらしい。種族の様々な兵士たちが二十人ほど、

ばらばらになって壁際で体を休めていた。

体練場の隅の床に、ポートリック上等兵が立っているのが見える。

彼は小山のょうな巨軀の狼徴人であり、もともと、ただそこにいるだけで目を

惹く存在感の持ち主だ。しかし今フエオドールがそちらを見た理由は、そこには

ない。

ポートリックの首のあたりに、リンゴがはりついていた。

同じく肩のあたりに、マシュマロがへばりついていた。

ゆらゆらと、ポートリックが穏やかに体を揺らす。左右に振り回された二人

が、楽しそうにきゃっきゃと笑う0

、っか”

「おお、四位武官。今、呼びに伺おうと思っていました」

ポートリックがこちらに気づき、顔を上げる。フエォドールは我に返る。

「すみません ホートリックさん^」

ずり落ちかけていた眼鏡の位置を直すと、慌てて駆け寄る。

「こら、リンコ、マシュマロ-~ 二人とも、降りろ*~」

言っても聞かない◦首から上だけでこちらを振り返って、「やだ」と唇を尖ら

せる。

「あのねぇ君たち!」

「はっはっは、構いませんとも」

当のポートリックが、いかつい顔を緩めて、楽しそうに笑う。

「俺のこの毛の手触りが、ことのほか気に入ったょうでしてな◦となれば、俺と

してはむしろ喜ばしい。毛並みを讃えられることは、我らの一族にとっては誇り

ですからな」

気を遣っての噓——には見えなかった。

「......そういうものなんですか?」

「おや、ご存じではありませんでしたか。狼徴人が毛づくろいにこだわるという

話は、それなりに有名だと思っていたのですが」

いや確かにそれくらいは聞いたことがあるけれど。それは見た目の艷とかの話

で、触られるのはむしろ嫌がるものだとばかり思っていた。

「それ、徴無しの子供なんですけど、いいんですか?」

「なあに、幼子は慈しむべしというのは種を問わぬ真理でありましようよ。四位

武官も、我ら一族の幼子に懐かれて悪い気分はせんでしよう?」

狼徴人の、子供。

一瞬で、頭の中を想像が支配する。産毛のような柔らかい毛並み。宝石のよう

な丸い瞳◦しっぽを激しく振りながらこちらの顔を見上げてくる。そして、あご

の下を撫でてやると気持ちよさそうに目を細めるのだ。悪くない。、っん、決して

悪くない。

「それとこれとは、別の話でしよう」

幸いなことに、動揺を隠すのは得意だった。表情は動かさないまま、淡々と答

えた。

体練場を見渡す◦こちらに向けられていた何人分かの視線が、あからさまに逸

らされた。

「さすがに、全員に歓迎されてるという風ではないですね」

「ふむ。通達は来ていたのですがな。徴無しの幼子が敷地内に保護されている

もちろん、通達の件についてはフエォドールも聞いている。

しかしそれはそれとして、軍の施設は子供の遊び場ではないことに変わりはな

いのだ。感情的な意味でも単純に邪魔だという意味でも、この場にいる戦士の多

くにとってリンゴたちの存在が喜ばしくないものであろうことは、想像に難くな

V

「まあ、非は明らかにこちらにありますし、ここは素直に連れ帰-痛あР:」

リンゴの手が、フエォドールの髪を力いっぱい引っ張っている。

「こここら、止めなさい、抜ける抜ける皮ごと抜ける!」

「む一」

リンゴは何やら不服そうに、

「ふぇど一る、かみ、つやつやしてない」

「何の話かなр:」

「ぽ一とり、かみ、つやつやしてる」

はっはっは、とポートリックが朗らかに笑ぅ。そぅか毛皮の艷を褒められてそ

んなに嬉しいか◦なんだかいらっとしたから今すぐ生皮剝いでもいいかな。

廊下を歩いている。

遊び疲れて満足したか、リンゴとマシュマロはぐっすりと眼っている。

「——俺は以前、第三師団に所属していましてな」

マシュマロを片膨で抱いたまま、ホ^~トリックはそんなことを言い出した。

Гご存じの通り、あそこの師団の基本的な任務は、7番浮遊島の——帝国の監視

と威圧だ◦おかしな事件を起こさないために、同じ空の民を脅しつけることで

す」

いきなりそんな話を始めた意図は、フエオドールにはわからない。

とりあえず、背負つたリンゴの姿勢をちょつと正してやりながら、「大切な役

目ですょね」と、中身のないフォロ^ —を添えておく。

「ところが、年に一、二度、帝国とは関係のない、妙な任務が発令されていた」

「はぁ」

「周辺の浮遊島から運び込まれた『荷物』を、どこか別の浮遊島へと運ぶ準備が

整ぅまで保管するといぅものでしてな。荷物は毎回鋼鉄の籠に収められており、

中身は一部の位官にしか知らされておりませんでした」

「はぁ」

「ところが、俺は一度だけ、その籠の中身を見る機会を得ましてな」

「はあ」

г徴無しの子供でした」

「……は……」気のない相槌の声が途中で止まる「え、と……え?」

「あまりに生気に欠けていたため、初めは死体ではないかと疑ったのですが、ど

うやらそういうわけではない。与えられた食事は手を使って口まで運ぶし、話し

かければわずかなりと反応を示す。こちらのことが見えていたかは、分かりませ

んでしたがね」

「それって」

「『黄金の子』と、当時の上官は呼んでおりました。その存在については他言無

用だとも言われましたな」

他言無用。それはそうだろう。

黄金の子というのもずいぶんと安直な呼び名だが、ポ^トリックの語るその

「荷物」は、まず間違いなく黄金妖精だろう。

フエオドールの知る限り、黄金妖精のことは護翼軍の中でも一握りの者だけし

か知らない。非常識なほどの魔力を熾すことができるが出力が安定せず、暴走す

れば大爆発を起こす。その大爆発の規模たるや凄まじく、かの恐ろしき〈六番目

の獣〉をも焼き尽くすことができるとか。

鋼鉄の籠というのは、万一の暴発に対する備えのつもりなのだろう。どう考え

ても気休め以上のものになりそうにないが、その気休めこそが必要だったのだと

言われれば返す言葉がない。得体の知れない危険を前に、人は身構えずにはいら

れない。

「——他言無用なのに、僕に喋ってしまっていいんですか?」

「よくはありませんな」

しれつと、とんでもないことを言う。

「ですから、このことは内密にお願いしたい。よろしいでしよう?」

なんだ、それ。

一方的に話しておいて、最後にそんなことを言い出すのか。

「誰にも話せませんよこんなこと。出回つたりしたら、ポ^^トリックさんだけ

じゃなく、僕まで処罰の対象になる」

はつはつは、とポートリックは能天気に笑う。

「……任務というものの重さは理解しています◦そこに善悪の区別など存在して

はならない。まして、一介の兵士に過ぎん俺が、是非を判断することなど、決し

てしてはならない。だからあの時の任務の際、俺はその『黄金の子』に何もして

やらなかつた。命じられるまま、籠を担いで艇へと運びました◦そのことについ

ては、後悔も後ろめたさも、あつてはならないのです……が」

言って、傷の刻まれたほうの頰を軽く搔く。マシュマロにしがみつかれたまま

腕を動かすのは、どうにもやりにくそうだ。

「こいつは、ただの昔話です。今ここにいるこの娘らには、何の関係もない。た

だこの老兵が、脈絡なく思い出した思い出を語っただけ」

「そうですね」

そういうことにしておくべき、なのだろう。フエォドールは素直に頷いた。

ポートリック上等兵は、リンゴとマシュマロの素性について何も知らない。知

らないままでいなければならないし、そしておそらく、知らないままでいたほう

この二人に対して何かをしてやったとしても、それは決して、かつて何もして

やれなかった謎の子供への罪滅ぼしなどではない◦滅ぼすべき罪を背負うこと自

体、一介の兵士には許されていないのだから。

足を止める。妖精部屋の前に着いた。

「ほら二人とも、さすがにそろそろ降りろつて」

軽く、背をゆする。

うう一、と不満げな寝息が聞こえた。

fT

「ラキシュさんは、まだ調子悪いのか?」

午前の訓練メニューの消化中、砂利道を走りながら、パニバルに尋ねた。

「熱が出てきたから、さつき医務室に叩きこんできた」

「また?.......まさか、本当は重い病気だとかいう話、ないよね?」

「医者の判断では、特にそういうことはないらしい。単なる魔力の熾しすぎ、と

いうのが診断の結果だ。時間で治る」

「魔力……彼女が?」

フエォドールの知る限り、この半月の間、ラキシュがそう派手に魔力を使って

何かをしたということはない、はずだ。

「私もそう思ったんだが、なにせラキシュは、セニォリスの適合者だ」

セニォリス。

彼女たち黄金妖精が振るう遺跡兵装の中でも、ずば抜けて強力だという一振

り0

ティアットの憧れる「素敵で格好いいクトリ先輩」が振るっていたものであ

り、そして今はラキシュ•ニクス•セニォリスに継がれている、最終兵器。

「あの剣を介して振るえる魔力は、文字通り桁違いだからな。知らないところで

負担が体に溜まつていても不思議じゃない」

「嫌な話だ」

「そうだな」

言葉が途切れる。

ざ、ざ、ざ、という静かな足音だけが耳に刺さる。

「ティアットたちは元気にやつているかな」

「ん……」

パニ、ハルは少し考えて、

「なに、心配はいらない。ああ見えて、基本的には二人とも優秀だからな。通常

の任務でそうそうへマはやらかさないはずだ一

いちおう彼女たちの上司という立場にあるのだ、優秀だということは知ってい

る。そして、「基本的に」という断りを頭につけなければならない現実もよく分

かっている。

二人とも素直で真面目で、日ごろの訓練の成果をしっかり身に着けていて、

魔力という切り札を持っている。けれど実戦経験が乏しいという印象は拭えず、

いざという時の対応力には不安が残る。

それに、何より。

死を恐れないとい、っ——そう言い張る黄金妖精の特質のせいで、要らないとこ

ろで命を捨ててきたりしないだろうなという疑いが、どうしても頭にひっかか

る。せめて自分の目の前にいてくれれば横っ面をひっぱたいて止めることもでき

るのだけれど、遠い空の下に行かれてしまってはそれも叶わない。

「心配か?」

ひ^

「へマをやられて、僕の評価に響かれるのは嫌だな」

即答しておいた。

ふうん、とパニバルは興味深そうに鼻を鳴らし、

「なるほど、堕鬼種は噓が得意というのは本当らしい」

納得したょうに、そんなことを言った。

なんでそういうことになるのか、多少釈然としない。

リンゴとマシュマロの相手をした。

ォモチャの剣を振り回して襲い掛かってきたので、同じく剣をもって迎え撃っ

たQぺこんぽこんと激しい打ち合い。ほどょいところで武器を弾き飛ばされ、

ばっさりやられる◦や一ら一れ一た一。悲鳴をあげてひっくり返る。リンゴたち

がきやっきやと笑う0

「........................剣なら、私の技量のほうが上なのに」

部屋のすみっこでパニバルが膝を抱えているのは、見なかったことにした。

「ふう……今日も疲れた……」

よろよろと自室に戻り、着替えもせずにベッドに倒れ込む。

心と体の両方が疲れている。もう立ち上がりたくない。このまま目を閉じて、

どろどろとした眠りの中に沈んでいってしまいたい。

「ずいぶんと憔悴しているのだな。子供の世話には慣れているんじやなかった

か」

揶揄されているような気になって-あるいは相手にそのつもりはなかったの

かもしれないけれど——むっとなり、少し強い口調で答える。

「子供の世話なら、確かに経験がある。けど、猛獣の世話は未経験だ」

「あのくらいの子供は、みんな猛獣のようなものだろう」

「む」

そう言われると、言葉を返しづらい。

何せフエオドールが相手をしたことのある子供というのは、わずか三つだけ年

下だった許嫁のことだからだ◦初めて会ったのが七年前、フエォドールが十歳

だったころのことだから、当時のあの子は七歳。子供であること自体に違いはな

いにせよ、リンゴやマシュマロに比べれば、少々成長した後であったことには間

違いない。

手のかかる子ではあった。家庭の事情のせいでやや卑屈——もとい過剰に謙虚

なところはあったものの、だからこそか、心を許した相手に対しては遠慮なく我

が儘を言いまくっていた。それらに片端から付き合っていく日々は、とても大変

で疲れるもので、そして……まぁ、もちろん、楽しいものではぁったのだけど。

「その話はひとまずおいとくとして、だょ」

枕の上で頭を転がし、視線をまっすぐ、会話の相手に向ける。

「どうして君が僕の部屋にいるんだ、パニバル」

「君の後について入ってきたからだな」

「そういう意味じゃない」

だろうね、とパニバルは意地悪く答えると、窓際の椅子に勝手に腰を下ろす。

「たまには、二人きりで話してみたいと思ってね。つまらない話で盛り上がると

レうのも友人らしくてレレたろう?」

「誰と誰が友人だ」

「おや、冷たいことを言うんだな。もともとは君が言いだしたことだぞ」

「なんだよ、それ……」

言った覚えがない、と思う。

いや、どうだっただろう。自信が持てない。そういうこともあったかも。

「なんだ、あの夜から何も言わないと思っていたら、忘れていたのか」

……あの夜。何のことだろう。

ちくちくと、頭蓋の内側を何かがつつく。

г浮遊大陸群を墜とす、だったか?」

弾かれたように、ベッドから身を起こした。

思い出した◦あの日の、あの夜のこと。文字通り妖精に幻惑されたように曖昧

だった記憶が、断片的に、蘇ってくる。

あの時、フヱオドールは風邪をひいていた◦意識が朦朧としていた。現実と夢

との境が曖昧になつた時間の中、確かにこの少女と、そういう言葉を交わしてい

た。

「ど……」

「どこまで把握している、と聞きたいなら、以前にも答えたとおりだ。せいぜい

君が護翼軍の内部資料について嗅ぎまわつているということ。あと、切り札とし

ての黄金妖精を求めているという自供を聞いた程度だな」

何しやべつてるんだよ、あの日の僕!

叱責したいが、過去に声を届ける手段などない。

「な……」

「なにを企んでる、と聞きたいなら、これも以前に答えたとおりだ◦私はただ、

君についてもう少し知っておきたい。危険人物として見るべきか親愛なる友人と

して扱うべきか、それともその両方なのか◦宙ぶらりんの今の状態も、なかなか

悪くはないがね」

ぱくぱくと、口だけが動く。言葉が出てこない。

パニバルの言つていることが、よくわからない。

言葉としては理解できても、考え方が読み取れない。

コミュニケーションが成立している感触も、成立させられる自信もない。

「ふむ」

短い沈黙の時間の後、パニバルは小さく鼻を鳴らす。

「ただ見つめあう時間というのも悪くはないが、友人という間柄には似合わない

ような気もするな。さて、どうしたものか......」

数秒の黙考。何かを思いついた顔。

「そうだな。疲れているところ悪いが、少し付き合つてくれないか」

椅子から腰を上げ、パニバルは扉へと向かう。

「付き合うって、何に」

「寝るにはまだ早い時間だ。もう少し、体を動かそうじやないか」

くうかくうかと寝息を立てるリンゴたちの傍らから、オモチャの剣を二振り拝

借。

そのまま足音を忍ばせて、兵舎の裏手、少し開けた場所に出る。

「一本勝負。先に自分の剣を相手の体に当てたほうが勝ちだ」

「……いや、いきなり何言ってるのさ」

あたりをぐるりと見まわして、フエオドールは言う。今のところは誰の姿もな

いが、この後も誰もこないという保証はどこにもない。

「私闘は禁じられてるし、こんな時間じや模擬戦闘の許可も出ないぞ」

「そんな大層なものじやない。二人で楽しく仲睦まじく、オモチャで遊ぼうとい

うだけだ。申請なんてしたら、かえって笑われるぞ」

言って、剣の一本を放ってくる◦受け取る。

たが

「お互いに、聞きたいことはいろいろある◦しかし困つたことに、そうそうベら

ベらとしやべるわけにはいかない……となれば、こ、っいうのも悪くはないだろ

う」

パニバルが、姿勢を変えた。

頭頂から足先までを結ぶ直線に、ぴったりと重心を合わせる◦ゆらりと波打つ

ような動きで、剣を両手で構える◦本物に比べて圧倒的に軽いォモチャであるせ

いかややぎこちない感もあるが、それは明らかに、まっとうな剣技を修めた者の

構えだった。

「君が勝ったら、私の知りたいことについて答えてもらうぞ。代わりに、私が

勝ったら、君の聞きたいことに答えよう。そういう条件でどうだ?」

「なるほど」

フエオドールは手元の剣の刃の部分——固めの綿でできている——を指先で軽

く押しながら、いまの条件を頭の中で検討する。

「にらみ合ってるだけよりは、いくぶんか前向きだね。けどその条件だと、そも

そも剣の得意な君に有利過ぎないか。君が勝ったら、僕が質問を……」

ふと、違和感。

「え? 君が勝ったら君が答えて、僕が勝ったら僕が答える?」

「ああ」

「逆じゃないの?勝ったほうが損だよ、それ」

「そう思うなら、素直に負ければいい◦簡単な話だ」

「いやそれじゃ勝負にならな——」

「言っただろう?」

フエオドールの抗議を遮るように、パニバルは、にやりと笑う。わけのわから

ないことを言うときの彼女の、いつもの表情。

「私たちはただ、楽しく遊ぶだけだ◦あまり細かいことにこだわっていても、

まらないだけだぞ」

г……どんな理屈だよ」

少し考えてから、フエオド^ルは剣を構える。

まともな剣技についても、それなりに覚えはある◦得意とは言わないけれど、

自分の本来の剣筋を隠す程度には使いこなせる◦まずは、そいつを使って様子見

だ。勝ちも負けもしないように気をつけつつ、こんな意味不明の勝負……遊び

か......を挑んできた彼女の直ハ意を探ることにする。

「わかったよ。その遊び、乗ろう」

「そう言つてくれると信じていたよ」

始まりの合図は、なかった。

要らなかつた。

滑るような歩法で近づいてきたパニバルが、いつの間にか振り上げていた剣

を、まっすぐに振り下ろす◦動きをそのまま切り取って教本に載せてもよさそう

な、どこまでも模範的な、正しい剣。

だから、さばくのも簡単だ。

教本に載っているような、模範的な受けをすればいい。

ぼこん、と気の抜けた音をさせて、剣が剣を切り逸らす。

「ふむ」

何かを納得するようなパニ、ハルの領きを無視して、フヱオドールは剣を翻す。

これもまた、教本にありそうな動き。上品で正しい、返しの技。少女は柄を軸に

して剣を半回転させ、刀身の背でフエオド^~ルの払いを受け止めた。

「なかなか、やるね」

「はっ」

思わず、鼻で笑う。パニバルはどうやら、噓や世辞の類は不得意らしい。称賛

するような言葉は口先だけ。交わったままの剣は、彼女の「物足りない」という

気持ちをこれ以上ないほど雄弁に語つていた。

ならば、もう少しだけ、踏み込んでやろう。

悪戯心にも似た何かが、フエオドールの中から湧き上がる。その衝動に身を任

せ、剣を——その柄を握る手と指の位置を、わずかにずらす。

「ぬ……Р:」

パニバルの表情に戸惑いが混じる。

警戒が反射的に重心を退かせる。半歩分ほど体を逸らせたことで、必然的にパ

ニバルの体のバランスがわずかに崩れる。

重なり合つたままの剣に、力を込める。

フエオドールは決して大柄ではなく、体重もたかが知れている。しかしパニバ

ルはそれ以上に小柄な少女であり、体重も言わずもがな◦そしてどうやら、彼女

は魔力を熾してもいないらしく、腕力はほぼ互角◦となればもちろん、単純な押

し合いであればフエオドールのほうが有利。

決して丈夫とはいえないオモチャの剣が、みしりと音をたてて歪む。

「なるほど」

小さくつぶやいて、パニバルは自ら力を抜いて体勢を崩す。つられて、フエオ

ドールの体が前方に泳ぐ。振るうというより滑らせるような軌道を描き、パニバ

ルの剣が胸元を狙って奔る。

そうきたか。

軽口を挟む余裕もない。片手で受けると危ない——そう判断◦自分の剣の刀身

つか

を掘み、正面から受けきる。

「ほう」

この手の中にあったものが本物の剣であったなら、当然、刀身を握れば指が切

れる。この戦いがもし実際の剣戟を想定した模擬戦であったなら、即敗北を言い

渡されても文句の言えない戦術だ。

しかし、今自分たちがやっているのは、ォモチャの剣を使った遊びだ。

そして、ォモチャの剣に刃はない。だから、どこをどう握つたところで、何を

言われる筋合いもない。

ついでに言えば、この勝負の勝利条件は、「自分の剣を相手に当てたほうが勝

ち」なのだ。ならばやはり、自分の剣にどう触れたところで、敗北にはつながら

ないはず。

「ふっ」

呼気とともに、体を沈めた◦引いた剣を軽く振り回し、パニバルの攻め手を牽

制。同時に、片腕を自分の背後に引いて、手指の動きを隠す。

興味深そうに、パニバルの目がそちらの腕を追う。その隙をついて繰り出した

剣は、しかしきわどいところで回避され、少女の前髪を軽く揺らすにとどまる。

パニバルの目が、危ない危ない、と楽しそうに揺れる。

手ごわい、とフェオドールは再確認した。

始める前から分かっていたことではあるが、パニバルの反射神経と体捌きは、

自分のそれとは比べものにならないくらい高い水準にある。そして、嘘偽りを駆

使して戦うフェオドールのやりかたは、こ、っいう相手との相性が最悪に近い……

いくらフェィントを仕掛けたところで、その全てを見切って凌がれてしまうので

あれば、何の意味もない。

どちらからともなく、距離を離す。

乱れていた呼吸を、ゆっくりと整える。

「降参するかい?」

あ亡 はだ

汗で肌に張り付いてでもいたのか、自分の前髪をわしやわしややりながらパニ

バルが尋ねてくる。

「冗談。そっちこそ、そろそろ厳しいんじやないの?」

「それこそ悪い冗談だ」

はっはっは、と妙に芝居がかった笑い方をする。

「全力を出すのも出させるのも、実に気分のいいものだ◦こんなにも有意義な時

間なのだから、そんなつまらない終わらせ方をさせたくはないよ」

「趣味人め」

気持ちは分からなくもないけれど、あまり付き合いたいとも思えない。

フエオドールは膝を曲げ、姿勢を浅く沈める。左手に摑んだ刀身を背後に隠

し、右の手は指を広げて前へと突き出す。

г……独創的だけど、どういう構えかな?」

「さてね。きっとあれだ◦辺境の浮遊島の山奥で伝説の剣豪がひそかに編み出し

て伝えた秘剣中の秘剣とか、そういうやつだ」

適当なでまかせを言ってみる。

「ほほう、それは期待できるな」

いやだからこれでまかせだから。

「では私も、相応の秘剣で挑まねば失礼というものか」

いやあのね、だからね。

戸惑いまくるフエオドールの内心をよそに、パニバルは剣の柄を両手で握りな

おす。真正面に切っ先を向け、そこから大上段へと剣を構えなおす。

……なんだ、あれ。

フエオドールの当惑がひとつ増える。

パニバルのその構えは、あまりに隙だらけであるように見えた。

あまりに無防備に剣を振り上げているため、胴を狙われればどうしようもな

い。剣とともに重心も上がってしまっているため、足を狙われれば簡単にバラン

スを崩すだろう。どこからどう見ても、ただのド素人の構え。

「ちよっとふらついてるけど。それ本当に秘剣?」

「ふふふ、そう侮ったものでもないさ。これは確かに、ひとたび繰り出せば必ず

相手を討伐してのける、秘剣中の秘剣だ」

フエオド^ —ルは目を細める。

おかしな話だが、今のパニバルの言葉には、嘘特有の濁った気配が感じられな

かった。ということはつまり、とてもそうは見えないあの構えには、実際に彼女

が言う通りの脅威が秘められているということになる。

「そいつは、怖いな」

眩いて、フエオドールはさらに少しだけ姿勢を沈める。

正体の分からない剣とはいえ、あの構えからして、上から来るという一点はま

ず間違いないだろう。そして、武器が武器だけに、速度も威力もそれほどないは

ず。そうと予め分かってさえいれば、対処はそう難しくないはずだ。

「たりゃあああ!」

どこか間の抜けた気合いのА尸。パニバルが跳躍した。

その動きは、とても達人のそれには見えない。

重心ぐちやぐちや、全身隙だらけ、速度も大したことがなく、つまり避けるの

も、すれ違いざまに一撃を入れてやるのも、簡単だ。

なんだ、それ。

警戒六割、拍子抜け四割。そんな心境のまま、フエォドールは襲撃者の姿を眺

めて、そして、あることに気づいた。

重心がぶれている。剣を振る腕に体が振り回されている◦そんな状態で跳躍な

どしたものだから、体勢が完全に崩れてしまっている。

もし_分がこの突撃を避ければ、彼女は確実に転倒する。勢い余って何度か地

面を転がるかもしれない◦そしてフエォドールの背後には、細かい枝を生やした

背の低い木が群生していて、この中に飛び込んだら大怪我……とまでは言わなく

ても全身が擦り傷と切り傷だらけになるかもしれないわけで、

「なんだ、そりゃ!」

選択肢はなかった。

ほとんど反射的に、体が動いた。

フエォドールは自分の剣を捨て、両腕を伸ばす。少女の剣の内側へと体を滑り

込ませると、そのまま抱き寄せるようにして全身を受け止めた。

受け止めきれなかった。

力仕事の得意ではない堕鬼種の腕力は、勢いの乗った少女の体重を支え切れな

い。ひっくり返るようにして、フエオドールは背中から地面に叩きつけられる。

「勝負あり、だ」

ぽこん。自分の額が叩かれる小さな音を、フエォドールは聞いた。

フエォドールの腹の上にまたがった少女が、ふむん、と勝ち誇るように鼻を鳴

らした。

「そんなのありなわけ......?」

「底抜けに優しい者を相手にした時にしか使えないがな、今のところ、二回使っ

て二回とも相手を仕留めているぞ」

「なんだょ、そりゃ。僕の前は一人しかいないってことじゃないか」

「当たり前だ、底抜けに優しい者と切り結ぶ機会なんてものはそぅ多くない」

納得いかない。地面の上にひっくり返ったまま、フエォドールはふてくされ

る。

「最初の時も、狙っていたわけではないんだがな? 沼地の近くで切りかかった

ら、相手の男が勝手に下敷きになってくれたんだ。後になって知ったが、その男

は実はとんでもない達人で、幼かった私の剣など当たる道理がまったくなかった

はずでな?」

ぁ一はいはいそぅですか。

卑怯な不意打ちを仕掛けられたこと自体を責めるつもりはなかった。

いや、むしろそれは、本来なら自分たち堕鬼種の本領のはずだ。自分の得意分

野であるはずのひつかけに、まんまとハメられてしまつたことが悔しい。そして

情けない。

「そして、実に楽しい勝負だった」

上機嫌で言って、パニバルはフヱォドールの隣に寝転がった。

「……服、汚れるょ」

「なぁに、いつものことだ」

軽く言い放って、片手を高く差し上げる。まるで星を掘もうとでもいうょう

こ0

「一つの勝負は百の弁舌に勝る。フエォドールのことは、それなりに理解できた

ぞ」

「何の話」

「初手は、折り目正しい正統派の剣技を見せる◦自分の癖を出さずに相手の出か

た、もつと言えば目的と質を見極めようとするわけだ」

「たが、なんだかんだで面倒くさがりなのだろぅ。ある程度のことを把握できた

と見るや、一転して素の動きを見せる◦虚をちらつかせることで実を押し通すと

いぅやつだな」

「一見して典型的な邪剣のようだが、しかしよく見ればそうでもない。虚にあた

るフェィント動作を巧みに織り交ぜているわりに、実に当たる動きはオーソドッ

クスで真正直だ。自身の非力に自覚があるからか、勝負を決めようとする一撃は

常に正攻法。そこに至るまでの道筋がひねくれているだけで、最終的に選ぶ手段

は実に素直だ。さらに言うなら、様子見の余力を残しながら詰めにきているせい

か、微妙に踏み込みが甘い。これは慎重というよりおそらくは-」

「わかった!君が色々見抜いたのはわかったから、もうやめてくれ!」

悲鳴をあげた。

強がる余裕もないくらいに、パニバルの言う通りだった。フェォドール自身が

自覚している部分も、そしておそらくはそうでない部分も。

「いやぁ、やはり決闘はいいな。百の言葉より、お互いのことを深く理解でき

る」

「一方的に理解された側のことも考えてほしいよ……」

力なくうめく。

「ともあれそんなわけだ。敗者は戦いの中で、既にいろいろとさらけ出した。

よって、勝者たる私のほうが言葉の質問に答えるのが公平というものだろう。何

が聞きたい」

そういえば、そういう話で、そういう勝負だった。

話せないことがあつて、聞きたいことがある。つまりフエオドールにとつてこ

れは望ましい展開ではあるはずなのだが、

「……釈然としないなぁ……」

「ならば腕を磨いて再び挑んでくるがいい◦あまり長くは待てないから、早めに

な」

「納得できないなぁ:••:」

空を見上げたままで、うめく。

г……君たちは、護翼軍の、秘密兵器だ」

「ああ、そうだ」

「生命力と相反する概念である魔力を、生命力が乏しいという理由で、他種族と

は桁違いの勢いで熾すことができる。生命力をまるごと擲つことで、さらにとん

く i つ

でもない力を爆発させることもできる」

「その通りだ」

「じゃあ、ここからが質問だ。君たちはなぜ、そうまでして護翼軍に尽くす?

生きたいとい、っ気持ちは、ちゃんと持つてるんだろ?」

「ふむ、さすがだな。なかなか答え辛いことを聞く」

もぞり、と、隣に寝転がった気配が体を動かした。

「五年前、クトリ先輩たちの世代までは、そもそもそうしなければ浮遊大陸群が

滅びるから……だったな。〈六番目の獣〉は放置しておくと増えて風に乗る◦そ

して私たち以外の兵器は、〈六番目の獣〉に対して有効ではなかった。だから、

空に達した〈六番目〉は、速やかに私たちが討滅しなければならなかった」

г……それも……」

黄金妖精以外の兵器が〈六番目の獣〉に通用しなかったのは、そもそも〈獣〉

たちに対抗する兵器の開発や所持を護翼軍が独占していたからだ◦守護するとい

う名目で、人々の目を塞ぎ続けてきた。戦いの場から遠ざけることで、戦う力を

fた。

それは間違っているのだ、というのが、かつてのエルビス集商国の結論だ◦そ

して同時に、フヱオドールの義兄であったエルビス国防軍軍団長の主張でもあっ

た。

「......どうした?」

「いや、何でもないよ」

エルビスは、そして義兄は、手段を間違えた。

だから、およそ考えうる限り最悪の汚名を被って、滅びた。

けれどフェオドールは、あの国の結論を、義兄の主張を、間違っているとは思

わない。人々は守られ過ぎた。甘え過ぎた。その結果として、守られる価値を

失った。そこまでの考え方を、正しいものだと今も思っている。

その過保護の主犯が、今、目の前にいる少女。そしてその同胞たち。

そう考えると、さすがに少し、複雑な気分になる。

「五年前までそうだつた、ということは、その後は事情が違うということ?」

「そうなる。〈六番目の獣〉が空に至ることがなくなつて、兵器としての私たち

の存在理由は、一度失われた。護翼軍のお偉方の何人かも、こんな面倒なものは

この機に手放してしまえと主張し始めた。というより、そちらのほうが明らかに

多数派だったんだが」

「だつたら——」

「護翼軍を離れた場合、私たちはエルビスの商人に売り渡されることになつてい

た」

初耳だった。

「知っているだろう? そもそも私たちは危険物だ。それまでは、使い道がある

から維持されてきた。それがなくなったからといって、解き放つことなどできる

はずがない◦まとめて全員の首を刎ねてしまうのが、浮遊大陸群の安全のために

は最善策。

しかしそこに、けっこうな額の札束を抱えた商人がやってきてな◦いらないの

なら自分たちに譲れと言うわけだ。そして護翼の将官たちは、この話に乗った」

「その商人って」

「名前は知らん。私たちを買って、大型兵器の動力源として炉にくべるつもり

だったらしい。ょく燃えるゴミの利用方法としては実に合理的だな」

はっはっは、とパニバルは笑う。

「そのタィミングで、エルピス寧変が起きた」

「-ああ」

そう、か。

もちろん、フェオド^ルは、その寒件のことを知っている〇それも、世間の者

たちよりは、少しだけ詳しく。

エルビス集商国は、商業国家だ◦どうしても商人が強い発言力を持つ。そし

て、そんな発言力を持つ商人の何人かが、義兄が立てていた「〈獣〉の脅威を

浮遊大陸群の全員に思い出させる」計画を捻じ曲げた。本来なら出さずに済んだ

はずの被害を出した。大きな都市とその住人すべてを脅かし、脅迫という形で自

分たちの意を通そうとした。

「あの時エルビスが用意していた兵器がどういうものだったのか私は知らない

が、コリナディルーチェを襲った災厄には通用しなかった」

そうだ。

商人たちが用意したというその兵器の詳細を、フエォドールも知らない。強力

なものであったが、予定外の〈獣〉と遭遇して破壊されてしまったのだとだけ聞

いている。

「それを打ち払ったのは、妖精の先輩たち……そして、当時既に妖精兵だった

ティアットと、なりたてだつたラキシュだ」

「……五年前の話だよね?」

「ティアットが十で、ラキシュが九の時の話だ。あの二人は多少早熟でね」

絶句。

「これによって、私たちは再び、万が一の〈獣〉の脅威に備えた最終兵器として

の地位を取り戻した◦そして、その地位を保ち続けている限り、護翼軍に居場所

を持ち続けられるようになつた......というわけさ」

「それは」口の中が乾いている「質問に答えていない。僕は、なぜ護翼軍に尽く

し続けているのかと聞いたんだ。どぅやって居場所を得ているのかじゃない」

「ん?ああ、そぅだったか。悪いな、話が逸れていた」

しれっとした声で、パニバルは言葉を付け加える。

「妖精は幼い子供の魂だ◦擬似的に創りだされる肉体も、あくまで小さな子供の

それだ。それが成長してしまい幼さが失われ始めると、とたんに肉体が安定しな

くなる。先のティアットたちの件で言えば、肉体の寿命は十の年で既に尽きてい

た。

ところが護翼軍は、この崩壊を先延ばしにする技術を持っていた。そいつを施

された妖精は、ちょつとだけ長生きして、ちょつとだけ大人に近づける。そし

て、子供と大人の境目にいるわずかな時間だけ、成体妖精兵として戦場に立てる

わけだ。だから」

「それ……は」うまく声が出てこない「定期的に処置を受けなきゃいけないと

力そういうものなの力?」

「いいや。一度で充分だ。二度受けた先輩もいちお、っいるが、本来必要ない」

「だったら、もう成体妖精になった君たちは、君たちだけで生きられるだろう。

逃げればいい。自分たちの力で、どこかでこっそりやっていけるはずだ。そうし

ていいんだ」

г……はは」

フエォドールの手に、何か温かいものが触れた。

「君も、下手な嘘をつくんだな」

「何を」

「自分で、自分の言葉を信じていないじゃないか。私が何と答えるのか、どうい

う理由で君の意見を突っばねるのか、とっくにわかっているんだろう?」

パニバルの指が、フヱオドールの指を、軽く握る。

「私たちはな、みんな、家族が好きなんだ。先輩たちがそうしてきたように、後

輩たちの居場所を作って、守ってやりたい。そのためには、護翼軍に身をおいて

兵器としての自分たちを示し続ける必要がある。必要だから、それをする」

握る指先に、力がこもる。

「ただ、それだけなんだ」

-_分の命より大切なものなんて、そうそうあるはずがないんだ。

それは、義兄の言葉。

義兄はそんなことを言って、自分の命よりも大切なものを見つけて、本当にそ

のもののために命を捨ててしまった。

——ティアットは、先輩みたいになりたいって、今も思ってます。

それは、ティアットのことを評した言葉。

命懸けで、憧れの人の背中を追いかけていた。本当に命を捨てようとしてい

た。

先輩のようになりたい。それはつまり、同じように後輩たちの道を拓きたいと

いう意味だったのか?68番島に大勢いるという妹たちのために。自分一人の命

よりも大切な、儍い命の家族のために?

フエオドールは彼女の覚悟を、ドラマチックな自殺と評した。彼女はいった

い、どのような気持ちでその指摘を受け入れたのだろ、つ。

「僕は……」

「さて、話し過ぎたかな」

指先から、温もりが離れる◦パニバルが身を起こす。

「私はそろそろ戻る。君はどうする?」

「……まだ、僕は何も話してない。正体も、目的も」

「仕方が無いだろう。先ほどの勝負は、私の勝ちだ。多弁は勝者の特権で、沈黙

は敗者の義務だぞ。剣で切られた側がぺらぺら喋るのがおかしいのはわかるだろ

う?」

いや、その理屈のほうがおかしいから。

г心配しないでも、誰にも話しはしないさ。君は危険人物かもしれないが、大切

な友人だからな」

そう言つて、パニバルは立ち去ろうとする。

その背中に、フエオドールは声をかけた。

г浮遊大陸群は、広すぎるんだ」

パニバルの足が止まる。

「百を超える数の浮遊島。多すぎる。こんなにあるから、住む者の意志がバラバ

ラになる。守られていることを忘れるような連中が、そのためにどれだけの犠牲

が払われているかを知りもせずに、のうのうと生きているような世の中になるん

だ」

そこでいつたん息を継いで、

「だから僕は、浮遊島を間引きたい」

「語るのは勝者だけの特権と、言ったはずなんだがな」

г浮遊大陸群に浮かぶ島のほとんどを墜とす。そのために、君たちの力を借りた

Г

「……案の定、ひねくれたことを考えているんだな」

パニバルは呆れたょぅに嘆息して、

「私は何も聞いていない。返事が欲しかったら、まあ別の機会に改めてくれ」

再び歩き始めた。

小さな足音が遠ざかるのを、フエォドールはひっくり返ったままで聞いた。

目の前には、目を細めたくなるくらいの、満天の星。

息を吸って、吐いた。

頭の中が痺れているょうな、奇妙な感覚◦考えなければいけないことは色々あ

るはずなのに、うまく思考が巡らない。

「僕も……帰るか」

のっそりと、半身を起こした。

そのまま立ち上がって歩き出そうとしたところで、ふと、気づいた◦足元に転

がっている、二振りの、ォモチャの剣。

それなりに丈夫に作られているしろものではあったが、先ほどの剣戟に耐え切

れるほどのものではなかったらしい。二振りともが、真ん中あたりで、ぽっきり

とへし折れてしまつている。

思いっきり泣きわめくリンゴの顔が、脳裏に浮かんだ。

3特務チ^—4

調査が始まってから、三日ほどが経った。

fT

暗い場所。

ティアット•シ、ハ•ィグナレオは、息を殺している。

埃っぽい。気を抜くと、すぐにくしやみが出そぅになる

どろどろとした不安が、すぐに喉から逬り出そうだ。唾の塊といっしよに、

胃の奥に押し込める。壁の隙間に意識を集中する。

少し深く息を吸おうとしたら、胸と背中の両方が壁に挟まれる◦この状況も、

なかなか心に来る◦今よりずっと小さかったころ、箪笥に閉じ込められてわんわ

ん泣いた時のことを思い出した。あれ以来、こ、っいう極端に狭い場所は、ちよっ

とだけ苦手だ。

(......もうちよっと背とか伸びてたら、危なかったかな)

大人でありたい自分としては、この体の発育の遅さは日ごろの悩みの種であっ

た。しかし今この瞬間だけは、コンパクトな体格に感謝しよう。

「ここに来るところを、誰にも見られてはいないだろうナ?」

薄暗いその部屋には、六人の人物の姿があった。

いずれも体格のわかりづらい外套を羽織り、仮面で顔を隠している◦祭りのこ

の時期には珍しくない格好……であると同時に、後ろ暗いことをしようとしてい

る者たちにとっては、自分たちの素性を隠しきってくれる最高の小道具でもある

ようだった。

「この取り引きの重要度は、普段のものとは桁が違うのだゾ」

固まった五人の代表らしき者——声と体格からして男だろう——が、どこか苛

立ったような声で、そんなことを言った。

г……それはこちらの台詞、です」

その五人とたったひとりで対峙する六人目は、押し殺したようなしわがれ声

で、そう答えた◦その声からは、年齢も性別も判断しづらい。体格は小柄……と

レうところまでは分力る力それ力幼さゆえなの力それとももともとそういう

種族なのかについては判断ができない。つまり、何もわからない。

「目立つてはならない取り引きに、そんな大人数で来ている。それは、迂闊なこ

とではないのです、か?」

抑揚のない声からは、感情すら読み取れない。

「用心しているからこソ、頭の数は増えるのダ。意見の相違だナ」

男のほうの仮面が、大仰に首を振る。

「意見の相違。便利な言葉、です、ね」

小柄なほうの仮面は、ほとんど身動きしないまま、呆れたような声を出す。

「こんな寂れた島を指定してきたことには、何か意味でもあるんです、か?」

「さて。あるかもしれナィ、ないかもしれナィ。いずれにせよ、それはお前とは

関係のないことダ」

突き放すよぅな言い方に何を感じたか、小柄な仮面は小さく俯く。

「これを使って何をするつもりなのかも、聞いていませんでした」

「教える必要があるとも思わないがネ。平和のためダ、とでも言ってほしいの

力?」

「……いいでしよぅ。本題に入ります。例のものは?」

男があごで背後の四人に合図を送ると、一人が前に歩み出て、鉋を足もとに置

ぃた。

「中身を確かめても?」

鉋の口が開く。中身は、ティアットの位置からではよく見えない。

(あれは……書類の束、かな……?)

観察に意識を回し過ぎて、集中力が途切れていた。

自分でも気がつかないうちに、小さく身を乗り出していた◦爪の先が壁を引つ

かき、かり、と小さな音を立てる。

小柄な仮面が、ぴくりと体を震わせ、動きを止めた。

(ぇ……)

「さァ、お前の番ダ。例のものを出してもらおう力」

「いぇ」

小柄な仮面が、半歩、退いた。

「奇しくも先ほど話した通り、です。どうやらこの取り引きは、続けられま、せ

ん」

「何を」

「互いに無事であれば、いずれ、また」

そう言い放つと——小柄な仮面は身を翻し、走り始めた◦外套の裾を翻し、閉

じられたままの窓へと。

(なつ!

驚く全員の目の前で、窓を開くとその向こうに身を躍らせる。この部屋は三階

の高さにあつたはずだが、墜落音も着地音も何も聞こえない。

そして、瞬きをするほどの時間のあいだに、後ろ姿も見えなくなつていた。

fT

「-やつぱそうなつたつすか。なかなか難しいつすねえ」

うで

腕を組んで、アィセアがうなるようにぼやく。

「その小さいやつ、勘がいいのか耳がいいのか、とにかくなかなかつかまらない

iか ちよう(5う に

みたいなんすよね。他の島でも、諜報部が何度も取り逃がしてるらしいんすよ」

そうだろうな、とティアットは思う。実際にこの目にしたから分かる。あの小

柄な人影が見せていたそれは、敏感や繊細などという言葉で片づけられる警戒で

はなかった。おそらくは、もともと感覚の鋭かった者が、強迫に近いレベルの臆

病に追い立てられることで初めて到達できる領域の何か。

それに、単純な体術だけを見ても大したものだった。あれを少人数で取り押さ

えるというのは、なるほど、簡単な話ではなさそうだ。

ほういもう し つか

もちろん、大々的な包囲網でも敷けるならば、案外簡単に捕まえられるのかも

しれない……が、その手が使えないからこそ自分たちが今ここにいるのだ。ない

ものねだりをしていても仕方が無い。

「ヘンにしわがれた声、してたんすよね? それもどうやら、薬を使って喉を一

時的に痛めてるみたいなんすよね。そこまでして、自分の素性を隠してるんす

よ」

うわあ、と思、っ。

なんというか、そこまでやるのかという気持ちが止められない◦もちろん、あ

あいう業界の中では当たり前のことなのかもしれないけれど。

「なあ。残ってたやつらだけでも、捕まえなくてよかったのか一?」

椅子の上でゆさゆさと体を動かしながら、コロンが尋ねる。

「ありゃただの客っす。捕まえたところで、何も出てきやしないっすよ。あたし

らの存在を無駄に宣伝することになるだけっすね」

アィセアは難しい顔をして、眉をひんまげる。

子供だったころはともかく、背が伸びて大人びた雰囲気を身につけた今となっ

ては、あまり似合わない。

「あからさまに悪いやつらでしたし、放っておくのがためらわれるのも確かっす

けど。あたしらの目的は、あくまでも『小瓶』を確保することっすからね、リス

クの大きな寄り道はできるだけ避けるっすよ」

「ふむ^~」

「もちろん、ただ放置するってわけじゃないっすよ。どぅっすかセルゼル上等

兵、あの連中の素性、つかめたっすか?」

アィセアは、くるりと車椅子の向きを変えて、壁際のナックスに向き直る。

「……宿泊場までつけてって、顔を確認しました。一人が知った顔でしたよ◦旧

エルビスに登録してた商人たちの中で、ちとタチの悪い商売をしてたやつでし

た。残りの四人は、その護衛ですかね」

「おお、さすが、いい仕事してるっすねぇ。その調子で次の待ち伏せポィントの

割り出しも、よろしくお願いするっすよ」

「......あのなあ、アィセアさんよ」

ぽりぽりと頭を搔きながら、ナックスは抗議の声をあげる。

「やれって言われりゃ、そりゃやりますがね? 俺は軍人としてここにいるんで

すぜ。あんまり副業のほうの伝手を使わせられても、なんつ一か、困るんですが

ね?」

「な一に、どのみち軍の記録には残さないっすから、安心してこき使われてくれ

てもいいんすよ?」

「そういう問題じゃねぇんですよ……いや、それも大事だけどよ……」

はああ、と一胃を落とす。

ティアットは、彼らの会話に出てくるナックスの『副業』というものを把握し

ていない。どうやらずいぶんと顔が広くて、いろんな情報を集められるものらし

V

記者とか探偵とか、そういうやつだろうか。だとしたら、ちょっとかっこいい

なと思う。けれどナックス本人は特にかっこょくないなと思う。口にはしないけ

れど。

「大変そうですね」

その場の全員にコーヒーを配る際、ナックスのカップの横にだけ、角砂糖をひ

とつ多めに添えておいた。

「疲れてるみたいだから、セルゼルさんだけ特別です」

「いい子だねぇ」

なぜかしみじみと言われた。

「二年後くらいに、口説いてもいいかい」

*です」

自分でもなぜかょくわからなかったけれど、即答していた。

fT

調査は、地道に続けられた。

アィセアとナックスの二人が、どぅやっているのかはさっぱり分からないが、

あちこちから情報をかき集めてきた。その結果、住人の思いきり減った寂れた街

であるこのラィエル市に、驚くほどの数の、不正規の居住者が集まっていること

が明らかになった。

そのほとんどは、違法な兵器や薬物の開発や製造を行っている連中だ。

考えてみれば、当たり前の話ではあるのだ。

本来そういったことをやろうとする時には、いくつか解決しなければならない

問題がある◦それは確保しなければいけない敷地の広さであり、機械類の動力の

確保であり、どうしても発生してしまう音の誤魔化し方であり、近在住人の疑惑

の目であったりする。

そしてこのラィエル市においては、その全ての問題が一度に解決する。機械類

がそこらで動き続け、動力は勝手に供給されていて、駆動音はいつでもどこにで

も満ちていて、トドメに近在住人というやつ自体がどうにも少ない。

もちろん、あと数か月で39番浮遊島と衝突し、都市ごと<十一番目の獣〉に吞

まれるかもしれないという問題はある◦しかしそれも言いかえれば、半年後には

あらゆる証拠が勝手に隠滅されるということになる。

そんなわけだから、このラィエル市には、表通りを歩かない類の住人がそれな

りの数、集まってきている。

そしてもちろん、そういう連中がいくら増えたところで、表通りは寂しいまま

だ。

「......なんだかなぁ」

いつものように仮面と外套を身につけ、人の少ない表通りを歩く。

例のホテルの近くに、そこそこおいしいパン屋を見つけた。ハムやべーコンを

挟んだサンドウィッチが特に良い◦しかしお菓子のたぐいはほとんど扱っていな

炎、、0

いようで、唯一、ほとんど甘くないパサついたクッキーが小さな包みで売られて

いるだけ。

ラキシュのドーナツが恋しい。

フエオドールが食べていたやつもだ。ミルクに浸すとめちゃくちゃうまいと

言っていたアレを、一度試してみたい。

どうしてだろう。もうずっと長い間、みんなと会っていないょうな気がしてし

ま、っ。

「マシュマロとリンゴ……いい子にしてるかな」

小さな後輩たちの顔を思い出す。

パニバルとラキシュとフエォドール。三人の顔も順番に思い返し、たぶんいま

ごろラキシュー人が苦労してるんだろうなぁと思う。ぁの子は優しいから子供に

懐かれるけれど、優しすぎるせいで、叱ったりするのが苦手だから。

「会ぃ——」

会いたいな、と。その言葉は、すんでのところで飲み込んだ。

妖精兵に、弱音は禁物だ。

今はまだ、重要な任務の最中なのだ。雑念は禁物。

自分にそぅ言い聞かせ、抱えた荷物の中から小さな包みを取り出すと、中身の

パサついたクッキーを仮面の下から自分の口にねじこんだ。

ばきん、ぼりぼり。

甘くない。おいしくない。

4小さな家族

最近、ラィエル市を形づくる機械の調子がよくないのだとい、っ。

あちこちで、動きが純つている。止まつてしまつているものもある。その結

果、蒸気やら雷気やらといったエネルギーの循環が滞ってしまい、水漏れや小さ

な爆発事故などを起こしたりもしている。

ここでは、街並みが古い機械で満たされている。入り組んだ仕組みのそれらは

複雑に絡み合い、ひとつの生き物のような巨大な機械として組み上がった。誰も

その全容を知る者はいない。ただ、昔から変わらず動き続けるそれらに対する信

頼があったからこそ、人々はこの街に安心して住み続けることができた。

それはいわば、季節が巡ることや、空から雨が降ることを信頼するようなもの

だ。昔からそういうものであつたということをどこかで前提として受け入れるこ

とで、人々は自分たちの日常を組み立てられる。

あまりに急速にあまりに大きな都市を鋼板と発条とで組み上げてしまったた

め、その全容を把握する者は誰もいなかった◦誰にも全容を把握されないままで

も、それらの機械は、健気にそして勤勉に働き続けてきた。

その前提が、おそらくはいま、崩れつつある。

市から人が減り、整備する者が致命的に足りなくなったのが原因だろぅ……と

い、っのが、市庁舎の考えだった。

街の全容を把握する者はいないが、_分の身近な範囲の機械については理解

しその調子を整えることができる者が力つては大勢いた......といぅことだ。

彼らがこの街とともに日々を過ごしていたからこそ、総体としてのこの街も健

康を保てていた。逆に、彼らがこの街から姿を消していったことで、彼らが整備

していたひとつひとつの機械だけではなく、街全体が健康を損ねていった、と。

そのこと自体は、以前から予期されていた。が、ここ数日で急に状況が悪化し

てきた。腕のいい整備士が大勢一度に消えたのではないかと言われてはいるが、

真偽はわからない。そして、真偽を確かめることの意味は薄い。

市庁舎は、市内調査を進めて、段階的に施設を閉鎖していく方針を固めた◦既

に、危険度の高い何か所に関して動力を切断、市民の立ち入りも全面的に禁止と

した。

仮に大金を注ぎ込んで市の機能を一時的に回復したところで、減った市民が戻

るわけでもない。であれば、そう時をおかずに同じことになるだけだ……と、そ

ういう判断によるものであるらしい。

その話を聞いたフエオドールは、妥当な判断だと思った。

この街は、どちらにせよ死にゆこうとしているのだ。そして、遠からず39番浮

遊島との接触によって無くなろぅともしている。後者の結末を防ぐべく自分たち

護翼軍がいま戦力を調えている最中ではあるが、旗色ははっきりいって最悪に近

V

この街は、そしてこの世界は、終わりかけていて。

その事実からは、誰も目を逸らせない。

fT

「フヱオド^ル•ジヱスマン四位武官、入ります」

「おぅ」

返事を待ってから入った総団長室には、先客がいた。

車椅子に乗った、褪せた金色の髪の、徴無しの女。

(……誰、だ?)

軍服は着ていない。第五師団の中で見かける顔でもない。

こんな落ち着いた雰囲気の女性と、街中で出会った記憶もない。

などとフエォドールが考えていたら、目が合つた。

「こんにちは」

柔らかい微笑みと、ぁりふれた挨拶の言葉。

「ぁ……」

フエォドールは我に返り、目もとの眼鏡の位置を正す。

「失礼しました、先客がいらつしゃいましたか。報告書は後ほど、出直させて頂

きます一

「あ一いや、待て待て」

被甲人の眠たげな声が、横から割り込んできた。

「報告書つて例のアレだろ、市庁舎のほうからの苦情まとめ。あとでまとめて処

分しとくから、机の上に置いてつてくれ」

「……処分ではなく、適切に処理してください一位武官」

「あんなのいちいち聞いてらんないよ◦港湾区画から落つこちたゴミ箱のリスト

を作れとか言つてるんだよ? 地上に降りて〈十一番目〉を解剖しろとでも言う

のかね」

それは確かに、やつていられない。やつていられないけれど。

「それでも正式な申請です。ぐだぐだ言つてないで仕事をしてください」

「やだなぁ、そういう正論つて俺嫌いだよ。……つと、それはそれとしてだ」

一位武官の小さな目が、女性とフエォドールの間を往復する。

「アィセア。この白いのが、さっき話に出た色男だ」

「は」

г......おお一」

少し驚いたような笑顔で、改めてその女性は、フヱォドールに向き直る。

「思ってたより、線が細い感じっすねぇ。ん一。あの子たちの趣味としては意外

なような、それでいて納得できるような……」

「ぇ、いや、あの?」

じろじろと遠慮なく眺めまわされる。

おそらくは年上だろう女性にこんな目で見られるというのは、なかなかない経

験である◦しかもそれが見た目の近い徴無しとなるとなおさらだ。心臓が勝手に

_ねる。どうにも落ち着かない。

「あの子たち、ですか?」

話の流れから、それが誰を指す言葉なのかくらいは想像できる。想像した上

で、何か微妙に誤解されているような気もする。

「もしかして、ティアット上等相当兵たちの縁者の方ですか?」

「ういうい、正解っすよ」

……妙に子供っぽい表情と口調で、そんなことを言われた。

「あ。そうするともしかして」

以前聞いていた、68番浮遊島の住人たちの名前を思い出す〇あそこには、妖精

たち全員の姉のような喰人鬼がいるとかいう話だった。確か名前は、

「あなたが、ナィグラ^卜さん?」

女性が、思いっきり吹き出した。

一位武官が、腹を抱えて笑い出した。

「……違ったみたいですね」

答え合わせをするまでもない。この反応を見れば分かる。

「いやははは……ある意味光栄っすけど、残念ながら違うんすよこれが」

目もとににじんだ涙をぬぐいながら、女性が手をぱたぱたさせる。

「まあ、あたしのことはこの際どうでもいいとしてですよ。、っん。きみがゥワサ

の少年なんすね。一応ひと目見てみたいとは思ってたんすよ、ちようどよかっ

た」

親し気に言って、肩を叩いてくる……には高さが足りなかったか、フエオドー

ルの肘の辺りを掌でぱんぱんと叩く。

「はぁ……」

反応に、困る。

「会えたついでに、ひとつお願いがあるんすよ。聞いてもらえるっすか?」

「え? いや、その......」

助けを求めるよぅに、ちらりと一位武官に視線を送る◦いまだに笑い転げてい

て、たぶん話を聞いてもいない。役に立たない。

仕方が無いので、

「自分にできる範囲のことであれば」

社交辞令の返答をするしかなかった。

女性は、ぅん、と小さく一度だけ頷いて、

「——あの子たちを責めないでほしいんすよ。この後、何があったとしても」

「は……?」

「お願いは、それだけ。『できる範囲』で構わないんで、どうかよろしくっす」

言って、その女性は笑った。

どうしてだろう。まるで泣き顔のように見える笑顔だつた。

fT

ラキシュ•ニクス•セニオリスの体調が回復した。

Гごご、ご心配とご迷惑をおかけしましたつ!」

医務室から妖精部屋に戻ってきて、彼女が発した第一声がそれだった。

無理もない。

この数日、ここでは絶え間なくリンゴとマシュマロが暴れ回り、パニバルが我

が道を行くような生活を続けていたのだ。必然、部屋は散らかり、片付かない。

いちおうフエオドールはちよくちよく手や口を出したりしていたのだが、なに

ぶん彼自身どちらかというと片づけの苦手な性格である◦加えて言えば、ここは

いちおう女の子の部屋である。あまり思い切つた手出しはためらわれた。

「ふえとる^ ^^•」

「とる^ —」

当然の権利のような顔をして、フエオドールの腹と肩によじ登る子供たち。

フエオドールは潰れた蛙のような顔をして「ははは」と力なく笑う。

「いますぐきれいにしますから、フエオド^ルさんはちよつと待つ......こ、こら

パニバル、なんで下着なんて放り出してるのぉ!」

「よよよ」

笑い続けながら、フエオドールはそっぽを向いた。

もし勝手にこの部屋を片付け始めていたりしたら、その下着に遭遇していたの

は自分だったということになるのか。よかった。手出しをしないでいて、本当に

よかった。

「心配はいらないぞ、ラキシュ。フヱオドールは徴無しの娘には欲情しないらし

いから、下着が落ちていようと中身が落ちていようと」

「ぜんぜんぜんぜんまったくこれっぽっちも、そういう方向の問題じゃないか

らあ*^•一

がんばれ、ラキシュさん。心の中だけでエールを送る。

あとあれだ。パニバル。間違っているとまでは言わないけれど、ひとを何かが

欠けたみたいに言わないでほしい。

fT

ちよっと外の空気を吸ってこよう、という話になった。

ラキシュだけの話ではない。ほとんど部屋から出られずにいるリンゴとマシュ

マロについても同様だ。小さな体の中から際限なくあふれ出る元気を、屋根の下

だけで消費しようというのがそもそも無理な話だったのだ。

祭りのこの時期、紫色に染め上げられた街路——少しばかりいかがわしい雰囲

気がないでもない——を、五人で歩く。

いや、訂正しよう。三人が歩いて、二人が駆け回っている。

「ましゆ、こつち、こつち^—」

「りんご、まつて、まつて」

とんでもない勢いで駆け回る二人を、さすがに少し不安になりながら見守る。

「二人とも、僕らからあんまり離れちやダメだからね?」

「ぁぃ一」

「うんっ」

返事は立派なのだ。返事は。

「紐とか、繋いどいたほうがよかったのかもなぁ。それこそ、犬の散歩用のやつ

とか……どうしたの?」

隣で、ラキシュとパニバルがくすくすと笑つている。

гごめんなさい。なんだか今の、お父さんみたいだなぁ、って」

г……そんな年じやないんだけどなぁ」

「そうですよね、ごめんなさい」

まったく悪く思っていなさそうな笑顔で、ラキシュは舌を出す。

他の三人に比べて大人しく、引っ込み思案気味なところのあるラキシュだが、

なんだかんだで妖精であることに変わりはないらしい。茶目っ気を見せることも

あれば、悪戯っぽい表情を浮かべることもある。

あまり目立たないから、よく見ていないと気づけないだけで。

「我々は、父親というものについて、そう年が離れているィメージを持っていな

いんだ。実物はいないし、ヴィレムもそれほど年かさというわけでもなかった」

こっそりとパニバルが解説を入れてきたが、どう受け取ったものか迷う。

「まったく、どうして僕なんかに懐いてるんだか」

特に深い意味もなくぼやいた言葉だが、口にしてみると、改めて重要な疑問で

あると思えてきた。種族も違う。性別も違う◦父娘というような年齢差もない。

子供の相手に慣れているわけでも、前向きなわけでもない◦およそ、子供に気に

入られそうだと思える性質が、何ひとつとして思い当たらない。

「そんなの、簡単ですよ」

ラキシュは人差し指を立てて、

「あのくらいの子は、甘やかしてくれそうな人を好きになるんです」

г……そこは、優しい人、とかじゃないの?」

「違いますよ? だって子供ですから。相手が本当に優しいかどうかなんて、わ

かるはずがないじゃないですか」

そうなのたろう力?

よくわからない。ただの言葉遊びのようにも聞こえる。

「甘やかしてるつもりもないんだけど」

「そこは、あの子たちの受け取り方次第ですから。答えはそれぞれの心の中に、

ですよ」

「やっばよくわからないなあ……」

甘やかすというのは、もっとこう、なりふり構わず機嫌をとりにいくようなこ

とを言うんじゃないだろうか。それこそ、毎日のように甘いお菓子を持っていく

とか、そういうやつだ。

「私も甘やかしてるつもりなんだが......」

自分を分かっていないつぶやきが聞こえたことについては、気にしないとして

もだ。

「ふえとる^ ^^•」

「あきしゅ^---」

二人が突っ込んできて、並ぶ二人にそれぞれ全力体当たり。

は しよぅげき た

腹の中のものを全部吐き出してしまいそぅな衝撃を耐えきり、折れてしまいそ

とつげき

ぅな膝を気合いで支える。

すぐ隣、同じょぅにマシュマロの突撃を受けていながら、ふんわりと受け止め

ナ、 だま

ているラキシュの姿を見る。なんだあれすごい。武技の極みか何かか。到を騙し

ナむり •なた

歪めて煙に化かすとかなんとかそんな感じの、遠き歴史の彼方に失われた名のあ

る秘奥義の類なのか。

「'まナ、'まナお'まナ,—.—.I

ILi4、i 4 i 4、二 4 i 4 i ч

1!•

二人ともが必死になって、何かを訴えかけている◦その指の示す先には、見慣

れた仮面と外套をかぶった、誰かの姿。

「......ああ」

祭りのこの時期。

紫色に染まつたこの街は、生死の境界にまたがる交差点を模している。今のこ

こでは、生者と死者とが当たり前のようにすれ違い合うということになつてい

る。まるで死者のような装いをした生者が、名前と顔を隠して歩くのだ。

だからあれは、誰でもない誰かという装束をまとつただけの、誰か。たまたま

今この場所ですれ違つたというだけの、何ら特別なところのない、街の住人だろ

、っ0

「すみません、お騷がせします」

フエォドールが声をかけると、仮面の主はわずかに体を震わせて、そばの小道

へと姿を消した。

徹底してるんだなぁと少し感、レする。仮面と外套をつけている間、できるだけ

喋ってはならない……というのが正式な作法であるらしいのだ。なにせ死者は喋

らないし、声は個人を特定してしまう。何者でもない何者かであるためには、ま

ずは自分の声を捨てねばならない。

さて。

どこの浮遊島でも同じだが、港湾区画というやつは必ず交易の要所になる◦外

からの艇が運んできた異島の品々がそこで商われたり、逆に外へと出ていく商人

たちのためにこの島の産物が卸されたりする◦そのため、港湾区画のすぐ傍に

は、大勢の人とたくさんの品々が詰め込めるだけの大きな広場があるのが普通

だ。

ラィエル市も、もちろん例外ではない。

今でこそ活気を失い蕹墟のような有り様になっていると言っても、もともとは

独自の産業をもって栄えていた立派な都市だったのだ。当時の交易量に合わせて

確保された広場の大きさは、近在の他の都市に決して劣らない。

г……ほお」

まず最初に、流れの街頭楽団による、楽しげな音楽が聞こえてきた。

次いで、大勢の人々の喧騒。

右から左へ、左から右へ。張り巡らされたロープにかかった無数のランプが、

広場を明るい紫に染めている。ぼんやりとした不明瞭な光の下、死者を象った仮

面をかぶった人々が、そぅでない人々に交じって行き交っている。そして、ずら

り並んだ屋台の天幕には、ぅさんくさい土産物がずらりと並んでいた。

幻想的なのか即物的なのかいまいちわからない眺め。ただ、活気は感じられ

гうわぁ……」

ラキシュの感嘆の声の隣で、フエオドールもまた、小さく感心の声をあげる。

「すごいな。この街、まだこんなに住んでる人がいたんだ」

滅びを目前にしているとはいつても、都市は都市だといつたところか◦ふだん

の寂れた街並みからはおよそ想像のできない大人数が、祭りの喧騒を織り成して

いる。ある者は仮面をかぶり、ある者は素顔のまま(たまに素顔がほとんど仮面

と変わらないような種族の者もいる)、ある者は客として、ある者は露店の主と

して。

「ティアットとコロン、今ごろどうしてるだろうな」

近くの浮遊島へと任務で出ていったという話だったが、あれから二人の近況に

ついての連絡はまったくない。もちろん極秘任務の近況報告なんてものがそうそ

うあるはずもないことは理解しているが、それでもそろそろ、少し心配になつて

くる。

「前に聞いた話によれば、そう遠い島まで飛んでいつたわけではないそうだな」

平然とした顔のパニバルが、つぶやきを拾う。

「ということは、案外、同じ祭りを別の街で存分に楽しんでいる最中かもしれな

ぃぞ」

「それだつたら、いいんだけどね」

さすがにそれは楽観のすぎる考え方だろうと、苦笑する。

「そうかもしれないし、そうでないかもしれない。それ以上は考えても仕方が無

い。ならば細かいことなど考えず、心から楽しんでしまつたほうがいいだろ

う?」

ばしん、と背中を軽く叩かれる。

前向きなのか、そうでないのか。パニバルの言うことは相変わらずょく分から

なかったけれど、なんとなく、沈みかけていた気分がましになったょうな気がし

た。

「お、いつもの兄ちゃんじゃねエか!」

聞き覚えのある声。振り返る。

ずらりと仮面を並べた屋台の中◦立派なたてがみを生やしたパン屋の親父が、

真ん中で割れて上半分だけになった例の仮面をつけて、手を振っている。

「こんなとこで会うなんて奇遇じゃねエか、奇遇ついでに新作ドーナツでも食っ

てかねエか......って」

五人で手をつないでいるところを認めて、にやりと口元が笑う。

「こりゃ悪いとこに声かけた、家族サービス中だったかァ?」

おばけ一!と、リンゴが悲鳴をあげてフエオドールのズボンに顔を突っ込

む。

確かに、顔の上半分が怪しげな仮面であることを差し引いても、今の顔には泣

く子がもっと激しく泣くであろう、嫌な迫力があった。

「今日も元気に生きてそうですね、おじさん」

言いつつ、リンゴをズボンから引きはがす。膝のあたりとリンゴの口元をつな

ぐように、ゆるやかなよだれの橋がかかる。

「おゥよ、店がやっていけてる間は、俺も健康無比待ッたなしだ!」

力こぶを叩いて、豪放に笑う。

生者と死者がすれ違うこの街とこの時期ではあるけれど、どこからどう見ても

元気な生者でしかない者もいる◦伝承や風習なんてのは、そんなものだ。みんな

で楽しく気分を盛り上げるためのものでしかない。

どんな仮面をつけていても、どんな外套をかぶつていても、中身は必ず、生き

ている誰かだ。死者はいない。どこにもいない。

「ときに兄ちやん」

手招きされる。招かれるまま、耳を寄せる。視線はラキシュに向いて、

「こんな可愛ィ奥さんいるくせに、いつも違う子連れてるよナ。よその種族の文

化に口出しャしたかねエけどよ、奥さんは大事にしとかねぇと血ィみるゼ」

「だから、そういうのじやないんですつてば」

下世話な笑み◦死者の仮面が似合わないことこの上ない。

フエオド^—ルはこつそりと小さく、ため息を吐いた。

小さな舞台の上で、人形劇が上演されていた。

演目は……フエォドールの知らない、たぶん童話か何かだ◦古代の地上を舞台

にした、愛と冒険の物語◦悪い人間種の勇者に皆殺しにされた獣人の生き残りた

ちが、星神と地神の導きを受けて、新しい大地へと旅立っていく ◦そんな筋書き

だ。

ちょっとだけ、嫌な気分になる。こ、っいぅ物語に触れたあとの観客は、往々に

して、ことのほか人間種に似た容姿を持つ諸種族——徴無しに対して当たりが強

くなる。そのことは問題ではないとしても、フエォドール自身や連れの四人が

徴無しである以上、余計なトラブルの種になりかねない。

さっさとょそに行こぅ……と言い出す寸前に、気がついた。

隣にリンゴがいない。マシュマロとパニバルもだ。

「あれ?」

「すみません......あそこです......」

申し訳なさそうにラキシュが指さす先には、今にも舞台に乗り込まんばかりの

最前列で、身を乗り出して劇に見入ったリンゴとマシュマロと、あとなぜかパニ

バル。

生まれて間もないリンゴたちはともかく、年長組のはずのパニバルが迷わずそ

こに張り付いているというのは、どうしたものだろうか。

「……しょうがないね。待とうか」

肩をすくめた。ラキシュはしゅんとなりながら、少し嬉しそうに笑う。

やあ、たあ、やああ◦人形たちが剣を手に、切ったはったの活劇を繰り広げて

いる。機械仕掛けの舞台がくるくるとその背景を変えているところなど、意外と

見ごたえが多いのがちょっと海しい。

物語のテーマは、愛と勇気と友情であるようだった。主人公の獣人たちは、ど

う考えても絶体絶命のはずの苦境を、仲間と手を取り合うことで次々と切り抜け

ていく。

爽快な夢物語だな、と思う。

誰もが納得して喜べるように、美しい展開と曇りのない結末が並べられてい

る。

そんなことは現実にはありえない-などと言うつもりもない。それはそれ

で、現実をヒネた目で見ているだけの言葉だと思う◦実際の現実はもっと大雑把

にできている◦愛と勇気と友情が曇りのない輝かしい結末につながることもある

だろう。そして同時に、同じだけの確からしさで、そういう結末につながらない

こともあるたろう。

「あ、あの」

一歩弱ほど離れたところから、小声でラキシュが話しかけてくる。

「前にお話ししたこと、覚えていますか。ティアットのことをお願いしたいつ

て」

「それは……」少し口ごもる「まあね」

「もう一度、ょく似たこと、お願いしてもいいですか」

少し驚いて、思わずまじまじとラキシュの顔を見た。

「恋人としてなんて、もう言いません。これからも、これまでみたいに、そばに

いてあげてほしいんです」

「……どういう、心境の変化?」

「だって、最近、二人いっしょにいるだけで、すごく幸せそうだから」

幸せそう? お菓子の好みが嚙み合わなかっただけで追いかけたり追いかけら

れたりするあの関係か?

「それは、どうなのかなぁ......」

首をひねる。

「たいたいそのティアットは、僕に君のことを頼んできたよ。素直で優しくて料

理が上手でおいしいドーナツが揚げられます、お買い得ですよどうですかお客さ

ん、つて」

ちょつと言葉の詳細は違つていたような気はするけれど、小さいことだ。それ

と、その話の最中、おいしいドーナツのくだりで心が揺れていたことは伏せてお

こ、つと田以、つ。

「わたし、は」

ゆつくりと嚙みしめるようにして、ラキシュは答える。

「わたしは、いいんです。一人でも大丈夫。ちゃんと、幸せになりますから」

ああ、またか。少し、いらつときた。

「君たちは一度、種族全員で、大陸公用語を勉強しなおしてきたほうがいいよ」

え?と戸惑つた顔をされた。

かけらも大丈夫じゃない状況で、かけらも大丈夫じゃなさそうな顔をして、

「大丈夫」だなんて口にする。たぶんこれは、彼女たちが言葉を正しく理解して

いないからなのではないかと思う。正しい「大丈夫」の意味も使い方も知らない

からなのではないかと思つてしまう。そう、信じたくなる。

「ひとを不幸にする、一番効率的な方法つて知つてる?」

そういうことをあまり考えたことがなかつたのだろう、ラキシュは少し眉をひ

そめて、それでも考えながら答える。

г……叩いたり、大事なものを取り上げたり、とかですか?」

「それも有効かもしれないけど、そんなに効率的ではないかな◦抵抗されるだろ

うし、うまく行っても悪役になるし」

「悪役に……って、誰かを不幸にするんだから、最初から悪いことですょね?」

眩しいくらいにまっすぐな答え◦本当に素直な子だな、と少し呆れる。

「簡単だょ。『君は不幸だ』って言ってやればいい」

答えて、手をひらりと振ってみせた。

「『もっと幸せになれる』とか『幸せにしてやる』とかもその類型。いいこと

言ってるみたいに聞こえるけどさ、今のは全部、あなたがいま持ってる幸せは全

部ニセモノで、ホンモノは自分が教えてやるものだけだっていう決めつけ。この

言葉を信じちゃうと、それまでどんなに幸せだった人も、まだ自分は幸せになっ

てないんだって考え始める」

ぼかん、爆発を表すジェスチャー。

「本当の幸せが自分の手元にないことに苛立ち始めたら、終わりだ。もともと手

元にあったものはガラクタにしか見えなくなって、他人を妬み始める。そうなる

ともう、自分では自分の幸せが見えなくなる。『君は幸せだ』って言ってくれる

誰かに依存し始める。悪役になるどころか感謝される。色事師とか詐欺師とか政

治家とかがよく使う思考誘導だよ」

それはつまり、フエオドールの同族である堕鬼種が得意とする手口だというこ

とだが、さすがにそこまでは言わないでおく。

「君がさっき言った『一人でもちやんと幸せになる』っていう言葉は、その類型

だ。僕の目には、君が自分自身を、不幸せにしたがっているように見える」

んなことないです、と言おうとしたのだろう。

しかしラキシュは、そこで口ごもってしまう。それはつまり、理屈としてはか

なり強引だったはずのフエォドールの指摘に、何かを感じてしまったということ

だろう。そして、この正直な少女には、その気持ちをとっさに隠すょうな腹芸は

できなかった。

フエォドールは内心で嘆息する。まったくこの子は、色事師や詐欺師にとっ

て、実に騙しやすいタィプだ。今ここにいる自分がそのどちらでもないことに感

謝したい。

「別に、それが悪いとは言わないさ。不幸に酔うのも気持ちがいいもんだ。生き

るためにそれが必要だって人もいる。けれど」

そこで、一度、言葉を切る。自分の中の気持ちをうまく表現できる言葉を探

フェォドール•ジェスマンは堕鬼種で、誰かを騙して利用することを本分とす

るロクデナシの末裔で、つまりその手管をわざわざ懇切丁寧に説明するなどとい

うことは基本的に自分の首を絞めるに等しい行為だ。そんなことをどうして自分

がやってしまったのか。先走った感情のしでかしたことを、後から理屈で追いか

ける。

そして、どうにか答えらしきものを得る。

自分は、ただ、納得したくなかったのだ。どこまでも姉妹たちの幸せを願い譲

ろうとしないラキシュ•ニクス•セニオリスという少女が、自分自身のことだけ

を例外として扱おうとしていることに。その理屈を一言で表現するなら、そう、

「——君には似合わない」

「ひや」

奇妙な驚きの声を聞いた。

「ん。どうかした?」

「い、いえいえいえ。なんでもないですです◦なんでそんなに自然にかっこいい

系のことばが出てくるんだろうとか、そういうの考えてないです」

指摘されて、初めて気がついた。今のは確かに、女性を口説き落とすつもりだ

と言われれば反論のしにくい感じの言葉だった。もちろん、そういう会話の流れ

だったわけでもないし、意図していたわけではないはずなのだけど。

г言われたことも、その通りなんだろうなぁ、って。納得です」

紫色の灯りに照らされた、わずかに赤く染まった頰。

「わたし、不幸せになりたがってるのかもしれません。幸せをなくすより、不幸

せをなくすほうが、ずっと楽なはずですから」

г......意味が、わからないよ」

問い詰めるつもりの言葉だった。

しかしラキシュは、曖昧に微笑むだけで、それ以上の言葉を添えようとはしな

かった。どこまでも穏やかで弱々しくすら見えるその笑顔には、なぜか、どんな

問いかけにも屈しないだろうと思わせるだけの奇妙な強さが感じられた。

「だから、やっぱり、ティアットのこと……ううん、コロンもパニバルもマシュ

マロもリンコも。フエオド<ルさんと仲良しのみんなのことよろしくお願いし

ます」

なんで、そうなるんだよ。

「あんまり、堕鬼種を信用するものじゃないよ」

胸の奥に苦いものを感じながら、フエオドールはうんざりして答える。

歓声を聞いた。

目の前の人形劇が、クラィマックスを迎えていた◦旅路を終えて安住の地を得

たばかりの獣人たちに、襲い掛かるは巨大な邪竜。敵うはずのない圧倒的な強敵

を前に、それでも勇気を振り絞って立つ獣人の兵士たち。まばゆい光が全てを包

み込み、星神の加護が正しき者たちに力を与える◦百人の兵士たちの振るう百の

剣が、あらゆるものを拒絶するはずの邪竜の鱗を切り裂いてゆく。

「だいたい僕は、きみが考えてるみたいな良いやつなんかじゃ••••••」

短い悲鳴を聞いた。

それからわずかに遅れて、金属と金属がこすれ合いぶつかり合い歪め合う時

の、胃の痛くなるような大音量の異音。

弾かれたように、そちらを見た。

、一こtl

仮面をつけている者、そうでない者、種別を問わずにその場の誰もが同じょう

に、そちらへと顔を向けていた。

港湾区画近くの広場とはいえ、ここはラィエル市の一部である◦その街並みは

ほとんど、銅板と鋼板と発条と螺子と雷気線と蒸気管とその他もろもろ……つま

るところは機械仕掛けで出来ている。

そのうちのひとつ、壁に埋め込まれていたものに、半壊状態の自律人形が頭か

ら突っ込んでいた。そして、そうそう簡単に壊れるはずもない計器盤がいくつ

も、ばらばらになって地面に転がっている。

奇妙な沈黙が、辺りに広がっている。

危険な事故が起きた直後だというのに、誰も何も言えずに、その惨状を眺めて

いる。

生と死の境界を曖昧にするといぅ紫色の時間の中、死の境界を踏み越えたかの

よぅに沈黙する金属の塊を、ただただ静かに見つめている。

ラィエル市は、今日も静かに、死へと近づいている。

1 テイアット

机に向かったアイセアが、難しい顔をしている。

広げたメモに向かってぅなってみたり、頭を抱えてみたり、鼻と唇の間にペン

を挟んでみたり、奇声をあげて天井を仰いでみたり、果てには机に突っ伏してメ

モを散乱させたりしている。

見た目が大人であるせいで、子供っぽいそれらの仕草との間のギャップがすご

о

V

「……何やってるんですか」

呆れ半分と義務感半分。それにほんのちょっとだけの心配を加えて、テイアッ

卜は尋ねた。гんあ一」とアィセアは顔を上げて、

「ちよっち知りたいことがあったんで、昨日、こっそり一位武官のとこで資料も

らつてきたんすよ。そしたらまあ、逆にわかんないことが増える増える。......あ

あ」

ぎし、と音をさせて椅子ごと振り返る。

「ゥヮサのちびちゃんたちには会わなかったけど、例の少年には偶然会えたっす

よ。フエオドール君。なかなか好人物っぽいコじゃないっすか」

г……外面だけだから。中身はすんごい性格悪いから」

「そっすか? まあ、仲良しさんが言うなら、そうかもっすね」

「仲良くないから、すっごく悪いから」ティアットは首を振って、「それで、ど

うでした? 元気そうでした?」

「ん一?ちよ一いと疲れてる感じはしたけど、元気っぽかったっすよ?」

そうですか、とティアットは答えてそっぽを向く。

フエオドールが元気。ということは、たぶんラキシュもパニバルもマシュマロ

もリンコも元気ということた。もし一人でも調子を崩したままたつたらあいつ

も一緒にへこんでいたはずだ。

あいつ、そのへん、妙にわかりやすいから。

嘘つきなのに、本当にわかりやすいから。

「Аん一?」

先輩妖精が何やらむかつく笑顔でこちらをЩき込んできたので、話を変えよう

と思う0

「それで、何の資料をもらってきたんです?」

「あ一、先月のあんたらの大騒ぎっすよ。ほら、港湾区画を落としたって時の」

んぐ。墓穴を掘った……というか、思いきり勢いをつけて飛び込んだ気分。

「巨大飛空艇の中に〈獣〉が持ち込まれて、このままじゃ島ごとやられてしまう

から、みんなでがんばって突き落としました……とまあ、一見した時点ですでに

わけがわからない事件なんすけど、資料を重ね合わせて読んでいくと、わかるこ

ととわからないことがモリモリ増えていくんすよね、これ」

「......どうい、っ意味ですか?」

どうやら、自分とフエオドールの立ち回りの話とは関係がないらしい。改めて

尋ねる。

「どうって:•:•そうっすね。〈獣〉が自力で飛空艇の中に巣食うなんて可能性を

まず排除して、これが『小瓶』を使っての犯行だと言い切るところから始めるっ

すよ」

アィセアは少し考えてから、「へいコロン」と、ベッドの上で奇妙な体操に興

じていた少女の名を呼んだ。

「ん^、なんだ?」

「例えば、コロンが例の『小瓶』を使って浮遊島を殺したいと思ったら、どこに

どういうふうにしかけるっすか?」

「ぬ!?:ぬぬぬ……」

想像もしていなかっただろう質問を投げつけられて、コロンは目に見えて焦

る。

「し......島のまんなかで割る、かな?」

それはそうだ、とティアットは^う。

なにせ『小瓶』とやらの中身は〈十一番目の獣〉。壊すことも燃やすこともで

きない悪夢の産物だ◦一度解放されたなら、対処法はただひとつ◦そいつの侵食

を受けたものや場所を全て切り離して地上へ捨てるしかない。

つまり、切り捨てることができない場所で侵食を始めさせれば、その瞬間に勝

利が確定する。

「そうっすね。それが最適解◦そういう目的が設定されてたなら、あたしでもそ

うする。爆発で衝撃を与えて侵食を早めたってアレも本来は余計。わざわざあん

なことしなくたって、ほっときやそのうち確実に島は吞み込まれるんすからね」

「......つまり、あれは島ごと侵食することが目的じや、なかったと......?」

「そう。少なくとも主目的ではなかった可能性が強いっすね」

アィセアははっきりとうなずいた。

「じゃあ、何が目当てで?」

考えられることとしては、例えば、ウルティーヵ◦護翼軍の所有する最大最強

の飛空艇を落とすことが主目的だった、というものだろうか。

いや、その中に入り込んで爆弾やらなにやらを仕込めていた相手だ。〈獣〉な

んて究極の切り札をわざわざその場所で使う意味は薄い。

「最初に港湾区画を押さえたことと、爆発によって解決までの制限時間を区切っ

たこと。この二つの意図が鍵のはずなんすよ」

う^--と腕を組んで考える。

「実験……というか、各種のデータ取りっすかね」

Г説明-!

「例の夜、護翼軍はベストに近い動きをして、被害を最小限に抑えた◦例のフエ

ォドール君のお手柄っすね」

む。悔しい気もしたけれど、それは認めないといけない。

「そこで、そうならなかった場合のことを考えてみるんすよ。顔の見えない敵さ

んの計画が順調に進行してた場合、どうなってたか」

言われた通りに、思い出してみる。

最初に起きたのは爆発騒ぎ。

あの騒ぎが煙幕になり、〈獣〉の侵食の発見は遅れるはずだった。そういうセ

コい手はむしろこっちのお家芸だというフエオドールがネタを見抜かなかった

ら、あと三十分ほどは対応が遅れていたはずだ。

三十分。それだけあったら、被害はどれだけ拡大していただろう。

時間とともに、〈獣〉の侵食は確実に進む◦おそらく港湾区画のほぼ全部と、

隣接する工場区画の一部までを切り落とさなければいけない事態に……

「......ぁれ?」

「何か気づいたっすか?」

「島、墜ちない……ですね」

「そうっすね。第五師団が普通に全力を尽くせば、けっこうギリギリのところ

で、この島そのものは命を繫ぐ。そのくらいの仕掛けだったはずっすょ」

「でもじやあなんでわざわざそんなことを」

「なるほど、そういうことか」

いつの間にそこに入ってきたのか、ナックス•セルゼルが壁を背に立ってい

る。

「ナックスさん?」

「あんときにも、違和感はあったんだよ◦最初の連続爆破にしても、後から追加

で爆発した一発にしてもな、仕掛けが凝ってるくせに決め手になってない。なん

というか、護翼軍を挑発してるようなやりかただった」

色鮮やかな髪をかきむしり、

「あれは、本当に挑発だったんだな。敵の目的は、護翼軍が全力を出さないと島

が墜ちるような危機を演出すること。そして、その危機に際して動く護翼軍の動

きを観測することのほうだつた」

「......まあ、そうつすね。あたしの予想も、そのあたりが落としどころつす」

な、

「なにそれえええ!」

潜伏中の身であるということも忘れ、ティアットは大声を出していた。

信じたくなかった。

「たぶん敵さんは、どこかからあんたたちの奮闘を見てた◦ティアットが門を開

かずに済んだのは良い展開だったっすね」

なにそれ。なにそれ。なにそれ。

あの時は、本当に、死を覚悟したのに。命を捨てての全力で、みんなを……妖

精倉庫の妹たちと38番浮遊島の、つまり自分のまゎりにいたほとんど全員を、救

えるはずだと信じていたのに。

それすらも顔もわ力らなレその敵の思惑の内たつたとレぅこと力。

「もしかしたら、『小瓶』と〈獣〉の性能についても、詳しい情報を持ってな

かったのかもしれないですね。どのくらい使えるものなのかのデータを実地で

とつたとか」

「ありうるっすねぇ◦だとすると、_陣に少なくとももう一発分は『小瓶』を確

保してると見てよさそうつすけど......ここまでひねた考え方をする相手となる

と、それすらブラフって可能性も疑わないといけないっすよねえ」

ぼやくようにそこまで言つて、アイセアはテイアットとコロンに振り返る。

「例のフエオドール君は、あれからその辺りのことについて何か言ってたっす

か? 予想や憶測だけでなくて、感想みたいなのでもいいんすけど」

「へ?」

急に聞かれても、思い当たるものは特にない。コロンのほうに視線を向けた

ら、「なんもないぞ」とばかりに首を振られた。

アイセアは続けてナックスのほうを見る◦フエオドールの個人的な友人でもあ

る鷹翼種は、苦笑を浮かべて肩をすくめた。

「なるほど、ねえ……」

ぎっこぎっことアイセアが椅子を揺らす。行儀が悪い。

「彼の洞察力が資料にある通りのものなら、いまあたしらが出してた結論くらい

は、事件の当日中に出せててもおかしくない◦それでも目だった行動がないって

ことは、何かを腹の中に抱えてるってことかも」

「なあ、アイセア」

奇妙な体操を再開しながら、コロンが少し強い声で言ぅ。

「フエオドールは、いいやつだ」

「ん、まあ、そぅっすね」

苦笑するアイセアの横顔を見ながら、テイアットは思い出す。

あの日、二人きりで対峙し剣を交えたあの時のこと。

眼鏡を外し、気弱そうな仮面を捨て去ったあの少年のこと。

——義兄さんは、言ってたよ。この世界はまだ、捨てたもんじやないって。

——だから僕は、世界が義兄さんを殺した時に、その世界を捨てることに決め

た。

そうだ。彼は、確かに、そう言っていた。

憤怒か妄執か憎悪かそれとも他の何かなのか。複雑に絡み合った強い感情をあ

ふれさせながら、誓うようにして叫んでいた。

あの時の自分は、まともにそれを聞いていなかった。自分のことだけで頭が

いっぱいで、フエオドールが何を考えていたかなど気にしてもいなかった。けれ

ど、もしあの時の言葉が、彼がそれまで隠し通していた激情の吐露だったとした

——種族総出で美談を演出したいっていうなら、守られるべきじゃない連中ま

で守ろうっていうなら、君たちはすべて、僕の敵だ。

-君たちの、邪魔をしてやる。

あの時彼は、怒っていた。

死にゆこうとするティアットに。その死にょつて守られることになる全てに。

そして、そんな命の交換を許容するこの世界そのものに。もしもあれこそが、何

ひとつ隠すもののない、彼の素顔そのものだつたとしたなら。

彼が掲げる大義とは何か。

彼が信じる正義とは何か。

彼が求める未来とは何か。

それらのために、彼が選ぶであろう生き方は、何か——

「............ティアット?一

「ん、何でもない」

ひらひらと目の前で揺れるコロンの手を、優しく押し返した。

「悪かったっすょ。彼はあんたらの大事な友達だ、疑いたくはないっすょね」

そう言うアィセアの目は優しくて、しかしまったく笑っていなかった。

「あたしたちはもともと、〈六番目の獣〉と戦うだけのモノだった……そのため

に育って、死んで◦それが当たり前だった◦それがいつの間にか、まったくの別

の戦場で、まったくの別の、顔すら見えない敵と戦ってる一

ぼんやりと、愚痴をこぼすように、言う。

「そういうのも全部終わらせるために色々やってるつもりっすけど......それがな

かなか終わらないんすよねえ」

2 フエオドール

窓の向こ、っ、太陽が傾いていく。

「ぁ」

机の書類を片付けながら、一位武官がそう声をもらした。

嫌な予感が、フエオド^ —ルの心中によぎった。

「まずったな。ボスの時間、過ぎちゃってる」

ボス、というのは、書簡回収を行う自律人形の愛称だ。

ラィエル市では色々な都市機能が自動化している◦郵便機能はその中のひとつ

で、毎日街中を走り回る自律人形たちが郵便物を回収し、仕分けし、配達する。

信頼度は高く、ょその都市で一般的な郵便公社ょりも事故率は低い。ラィエル市

J:^ ку^

の機能があちこち麻痺し始めている今も、とりあえず問題なく動いている。

便利なものではあるが、難点がないというわけでもない。

まったくといっていいほど、融通が利かないのだ。決まった時間に決まった場

所を巡り、書簡を回収したり配達したりする。その時間以外には、回収すること

も配達することもない。

「あ一、こほん。フェオドール•ジェスマン四位武官、時間はあるかね」

「申し訳ありません一位武官。今日はこの後、外せない用事がありまして」

「え、なに、その定番の言い訳」

「いえ、これは本当です。その……リンゴたちを連れて買い物に出る予定が」

いろいろと必要なものがあるのだ。服の替えであったり新しい本であったりお

もちゃであったり◦リンゴがはしゃいで破ってしまったぬいぐるみを直すための

針と糸と綿、マシュマロが感性のまま落書きしまくった壁や床の汚れを落とすた

めの掃除道具。軍に常備してある機材で間に合うものばかりではない。

「すっかり父親だな」

「父としての責務を背負った覚えはありません◦可愛らしい子を愛でているだけ

でそう評されるのでは、世の中の父親たちに申し訳が立たなすぎます」

ベらり、と口先からそれっぽい言葉が出てきた。

「まあ、そういう用寧なら、少し頼まれてくれない?一

「露骨に嫌な顔するねぇ」

「いぇ、そんなことは。ですが私の用事も任務の一環ですから」

「心配しなくても、ついでで済む用事だ。書類をひとつ、市庁舎に届けてほし

ぃ」

言って、ぱたぱたと薄い封筒を振ってみせる。

「例の機械不調関係のやつだ。特に大急ぎで閉鎖しなければならない施設みっつ

と、応急処置のためにこちらで手配する技術者と資材のリストだ」

「なんでそんな重要なものを」

「今日はやたら書類仕事が多かったんだょ」

愚痴めいたことを言いつつ、一位武官が目をそらす。

正直を言えば面倒くさい、しかしその仕事自体は、誰かがやらなければ色々と

困つたことになる類のものだ。

「……ところで一位武官。我らの将来を託すことになる未来の妖精兵たちに、た

まには栄養をつけてやりたいと思ぅのですが。いえ護翼軍の糧食に栄養価がない

といぅ話では決してないのですが」

「お前さんて時々、優等生ヅラしたままでも遠慮がなくなるよな」

一位武官はやれやれと重たい息を吐いて、

「......領収書、もらっとけよ」

「もちろんそのつもりです」

もともとリンゴたちの世話は護翼軍の正式な任務の内であり、その過程で必要

になった物資の費用は基本的に経費で落ちる。しかしさすがに、度を過ぎた贅沢

をさせようとした場合はその限りではない。そういうことを成功させたいのな

ら、先に上司を脅しておくくらいの前準備は必要になる。

「お前さんがここまで娘を甘やかすタィプだつたとはな」

「甘やかしてるつもりもないし、父親でもないですけれどね」

「まぁいいさ。多少の出費で済むなら安いもんだ。その代わり」

ちよいちよい、と丸つこい指先で手招きされる。

フエオドールは眉をひそめつつ、耳を寄せる。

г……任務の追加だ。お前さんの目で、少し街を見てこい」

言われていることの意味がわからない。

「心配事があるなら、憲兵科に頼ればいいでしよう」

「そうじゃない。お前さんの目で観察しろ、と言つてるんだ」

フェォドール•ジェスマンの……堕鬼種の目。

特殊な能力を使えという意味ではない。堕鬼種の瞳が持つ力のことは有名では

ないし、そもそもほとんど役に立たない。ここで言われているのは、もっと別の

こと。

驅すこと、謀ること、隠すこと、欺くこと。それら全てに通じる天下のひねく

れ詐欺師種族の目をもって、見抜いてほしい何かが街中にあるということ。

「心当たりでも?」

「わからん。ただの杞憂かもしれん。だから行ってくれ」

確信はない、だからこそ信頼できる目を用いた情報が必要だ……そういう理

ШО

筋は通っている。納得もできる。断る理由はない。だから、にっこりと笑っ

て、

「そういえば、この前リンゴに似合いそうな服を街角で見つけまして」

г……好きにしろ」

もう一度だけ、上司を脅しておいた。

fT

「うりゅつ、りやつ、ほつ」

この辺りの道は、市の大通りから、少しだけ離れている。

ラィエル市の常として、そういうところに走る道は、決して平坦なものになら

ない。小刻みに段差があるし、むき出しのパィプだのなんだののせいで、余すと

ころなくでこぼこしている。

「手袋は外すなよ、このへんは油汚れひどいからな、素手で触ったらあとが面倒

だ」

「、ゥ^^ゆ、ゥ*^•」

うまく「うん」を言えなかったらしいリンゴが、ぴよんこびよんこと飛び跳ね

ながら、元気よく答える。

「あきしゅ丨、おねがい丨」

「はいはい」

一方で、あまりうまく走り回れていないマシュマロが、早くも色々と諦めてラ

キシュにだっこをせがんでいる。甘え癖がついているのはよくない傾向だとは思

うが、肝心の自分たちのほうに甘やかし癖がついているのだからどうしようもな

「買い物より先に、市庁4一口のほうに寄っていいかな?」

「はい、大丈夫です」

そんな短い会話の後、言葉が途絶える。

祭りの日のあのやりとりの後、フエオドールとラキシュの間には、少し微妙な

空気が流れていた。

好意や嫌悪とは違う◦そういう、距離を変えればすぐに落ち着くような類のも

のではない。強いて挙げれば、気まずい、というのがもっとも近いだろうか。

「体のほうは、大丈夫?」

話題を繋ぐつもりで、そう尋ねてみた。

「あ、はい。その……心配かけてしまって、すみません」

よいしよ、とマシュマロを抱えなおしながら、ラキシュは答える。

「あれって、妖精兵には、たまにあることなんですよ。肉体の強さに似合わない

熱量で魔力を熾すと、もともと仮初めのものでしかない人格のほうが不安定にな

る......んだそうです。体というより心の病なんです」

たぶん本人は、未知の病なんかじやないから心配無用ですよと言おうとしてい

るのだろう。けれどその説明じや、完全に逆効果だ。フヱオドールの不安は募る

一方。

「あの、あのですね。わたしの場合、その……魔力を扱う才能みたいなものがあ

るみたいで。普通に生きていても、なにかの拍子にぱぁって熾しちやうことがあ

るんです◦セニオリスを使った日とかもけっこう怖いですね、あれって魔力共振

上限も増幅倍率も底なしの剣だから、ちよっと起こしただけですぐにわたしのほ

うが耐えられなくなつちやつて」

いつもより、ちよっとだけ早口。

いつもより、ちよっとだけぎこちない笑顔。

決して、笑えるような内容の話ではないと思う。けれどおそらく、それを指摘

する必要はない。きっと話している当人が、誰よりそのことを理解しているはず

だから。

「ティアットじゃないけど……やっぱり、クトリ先輩みたいにはできません」

また、その名前か。

、、、こ、 ずゞ-スエ ノ

妖精の少女たちの偉大なる先輩。最強の遺跡兵装セニォリスの先代適合者◦数

えきれない〈六番目の獣〉を討ち滅ぼしたとか、ヴィレムとかいう二位技官と禁

断の恋に落ちたとか、色々と特別なエピソードの持ち主。

「別に、その人みたいにやる必要はないでしよ?君は君なんだから」

言いながら、なんて陳腐な物言いだと自分で呆れた。

手垢のついた、ただ相手を肯定するためだけの言葉。

けれど思い返してみれば、あの夜に剣を交えた後、ティアットに向けて贈った

ものも、似たような言葉だった気がする。

騙す気も操る気もなく、素直に自分の中から出てきた言葉がそういう類のもの

だった。ということはつまり、フェオドール•ジェスマンという人格自体がそれ

だけ薄っぺらいということか。やれやれだ。

「そう……ですよね。わたしは、わたし」

「セニオリスなんて、使わなければいいだけの話。日ごろから熾しちゃってるっ

ていうのは怖いから、それは気を付けて生きていくしかないけど」

「でも」

「少なくとも僕は、そんな理由のために君を失うのは嫌だょ」

「……え」

ラキシュの顔が、赤に染まった。

「え、と……」

その反応を見て、自分がまた言葉の選び方を間違えたのだとフиォドールは気

れんあい

づいた。違う、そうじゃない。自分がやりたかったのはそういう、恋愛ごとにこ

じつけられるょうな類の感情の話じゃなくて、もっと一般的で、もっと切実な、

そう、あくまでも常識的な意味合いのもので。

「あきしゆ? えど一る?」

マシュマロが二人の顔を交互に見ている。二人は小さく俯いて、黙り込む。

「あのっ」

「あのさ」

二人同時に顔を上げ、期せずして見つめ合い、そして、

「……ぁはっ」

「はは……」

笑い出す。

おかしかったとか楽しかったというょり、笑うことしか頭に浮かばなかったか

らそうした、そんな感覚だった。

「あのさ」

いつの間にか立ち止まっていた足を再び前に運びながら、会話を続ける。

「これから変なことを言うけど、聞いてほしいんだ」

「変なこと、ですか」

「そ、っ。こういう断りを入れておかないと、いつ憲兵科に追いかけられることに

なるかわからないくらいに、変なこと」

少し息を吸って、頭の中で言葉をまとめる。

あまり、人前で明かすべきことではない。けれど、いつまでも隠し続けていら

れることでもない。いつかは、この娘たちの前で、はっきりと言葉にしなければ

いけなかったことだ。そのいつかを、今にする。それだけのこと。

覚悟を決めて、

「僕は——」

話し始めた、その瞬間。

フエォドールは、自分たちの足元に伝わる、異様な揺れに気がついた。

3.マルゴ•メディシス

男たちが訪れた時、その塔は既に死んでいた。

壁やら床やらに埋め込まれていた機械類は、そのことごとくが動力を落とされ

ていた。蒸気や雷気のパイプもすベて切断され、外部から途絶していた。

扉や窓は全て固く閉ざされ、ライエル市の紋章と『侵入厳重禁止』の看板が掲

示されていた◦さらにその下には、万一の侵入時にどれだけの刑が適用されるの

かについてこまごまと書き並べられていた。

「……面倒と言や面倒だガ、都合がいいと言や都合がいいナ」

その男たちは、十三階の一室に立っていた。

窓辺に立てば、広いライエル市のほとんどを一望できる。

感情を隠す仮面の裏_からそんな景観を見下ろしながら、上機嫌とも不機嫌と

もつかない声で、その男は眩く。

「いちいち機械に火を入れねエと、扉のひとつも開きやしなィ……」

低い駆動音が足もとに響いている。

地下で沈黙していた、非常用の動力炉を無理矢理に動かしたのだ。

その際、大急ぎで通常の出カレベルを確保させるために、一種の暴走状態と

言ってょさそうなレベルで機械には無理をさせている。確実に寿命は縮むだろう

が、男たちにとってはどうでもいいことだ。自分たちの用事が終わるまで保って

くれればそれでいい。

そういった理由で、一時的にだが、この塔の機械類は本来の働きを取り戻して

いる。

手間はかかるし、無駄なリスクを負うことにもなつた。しかし、そうしなけれ

ば塔の中の移動ができないのだから仕方がない。

「……だガ、侵入禁止区域だから部外者の目を気にしなくていいというのハ、実

に有り難い話だナ。お前もそう思うだろゥ、マルゴ•メディシス?」

名を呼ばれ-

対峙する小柄な仮面が、ぴくりと体を震わせた。

「名乗った覚えはなかったはず、です」

「無論、調べたのだとモ。商売相手の素性を知ることハ、我々にとっては死活問

題でもあるのだからナ」

г……そう、ですか◦さすが、元は旧エルビス屈指の奴隸商人。後ろ暗いことの

自覚があると、用心深くもなるのです、ね」

くくく、と男は®く笑う。

「こちらこソ、素性を明かした覚えはないのだがネ」

「無論、調べ、ました◦取り引き相手の素性を知ることは、ワタシにとつても

「取り引き相手。くくく、演技はそこそこなれど、芝居は世辞にも上手いとは言

えんナ」

その場の全員の間に、沈黙が満ちる。

ティアット•シバ•ィグナレオは、その会話を、かろぅじて耳にしていた。

以前に流れた『小瓶』の取り引きを仕切り直すにあたって、あの商人はこの塔

を選んだ。その判断は、賢かったと言っていいだろぅ。動力炉に火が入るまで全

ての扉が閉まっていたのだから塔内に先客がいるはずがない。ひとつの階の広さ

は限られているから、少ない手勢でも、十三階全体をヵバーして警戒しきれる。

あとは真上と真下を警戒すれば、ひとまず完璧だと言えるだろう。

塔内のどこにも、隠れてこの取り引きを監視できるような場所は残っていな

V

そして、あの商人が把握していたかは分からないが、小柄な仮面の人物……先

ほどマルゴと名を呼ばれたほう……は、非常に鋭い感覚の持ち主だ◦近くで魔力

を熾す者がいた場合、すぐにその気配を察して逃げの一手を打つほどに。それは

つまり、魔力法を用いて身を潜めるタイプの攻略法は通用しないということでも

ある。

しかし今テイアットが潜んでいる場所は、そのどれでもない。

(......寒ぃ)

塔の外壁に背中で張り付いて、テイアットは小さく身を震わせた。

風が冷たい。

下を見ると、さらに背筋が少しだけ寒くなる。

もちろんここで足を滑らせたとしてもだ◦これだけの高さがあれば、翼を生み

出すだけの魔力が熾せる。充分間に合う。地面に叩きつけられることはない。そ

れはわかっているのだが……やはり、こ、っいうのは、落ち着かない。

「演技に、芝居。どういう意味です、か」

警戒も露わに、小柄なマルゴが問いかける。

「文字通りの意味だとモ。お前の真意は、とうに割れていル」

勝ち誇るように宣言すると同時、毛深い指を弾く。

護衛の男たちが、マルゴを取り囲むように動く。

「どういうつもり、です」

「ただの自衛だとモ。この命を狙う暗殺者ヲ、捕まえようと思ってナ」

「調べたと言っただろゥ◦旧エルビスに名を登録していた商人ガ、最近になって

何人も命を失っていル。その全員の共通点としテ、怪しげな取り引きを進めてい

た最中だったというものがあっ夕……」

五人の男に囲まれ、マルゴは慎重に左右を窺う。

「さテ、取り引きの続きダ。手持ちの『小瓶』を全て、渡してもらおう力」

(-どうしよう)

寒さに軽く身を震わせながら、ティアットは考える。

会話の流れはよく分からないが、ひとつだけ、直観できたことがあった。

あの、マルゴ•なんちやらとかいう小柄な仮面の人物は、まだ子供だ。

たぶん、十五の自分よりは、いくつか下の。

体が小さいのは、そういう種族だからではない。少なくともそれだけが理由で

はない。声を変えているのは、自分の声を特定させないということだけでなく、

年齢についても大きな手がかりを与えてしまいかねないからだ。

けれど……それがわかったところで、何だというのか。

自分たちの任務は、あのマルゴの持っている『小瓶』すべての回収なのだ。

今すぐ飛び出ていって全員を制圧することは、たぶんできる◦このタィミング

で奇襲できれば、前回のようにマルゴを取り逃がすこともないだろう。しかしそ

れでは、今この場にマルゴが持ってきている『小瓶』だけしか回収できない。こ

いつに仲間がいて分けて持っている可能性などを考えると、うかつな動きはでき

ない。

(コロン)

視線を向けると、同じように外壁に張り付いた桜色の友人が、困った顔をし

た。

へくし。

困った顔ついでに、コロンの口から、小さなくしゃみが漏れた◦慌てて室内の

祿子を窺う◦どうやら風の音にまぎれてくれたらしく、誰も気づいていない。

ほっと胸をなで下ろす。

「身に覚えがない……と言っても、信じてもらえそうにないです、ね」

「よく理解してレるよう夕」

「渡せる『小瓶』はひとつきり、です◦対価も、お話ししていた通りに、頂きま

「その取り引きは、とっくにお流れダ。今お前が考えなければいけないのは、別

の取り引き。『小瓶』すべてと、自分の命の交換についてダ」

男の一人が、動いた。

ぬ にぶ かРや

その手の中に抜き放たれたナィフが、鈍く輝いた。

突撃する先、狙いは、マルゴの背中。

しかしもちろん、今日まで護翼軍の追撃を振り切ってきたマルゴの用心深さ

は、並のものではない。襲われる可能性を最初から考慮に入れていたか、不意を

ぅたれた風もなくその場で軽く身をひねる◦ナィフの切っ先は軽く外套をかす

め、姿勢を崩した男はそのまま床へと倒れ込む……

その場の誰もが、そぅ思ったはずだった。

テイアットも、コロンも、そしておそらくマルゴもナイフの男も他の男たち

も。全員でその未来予想を共有していたはずだった。

その場の全員が、知らなかった。

この塔の動力が落とされ、外部から切り離されていた理由◦侵入厳重禁止とさ

れ、全ての扉が鎖されていた理由。

この塔を構成する機械は、疲弊に疲弊を重ね、とぅに限界を超えていた。圧力

を逃がす弁が錡び、蒸気を運ぶパイプが歪み、異常を知らせるアラームが壊れて

いた。一度小さな爆発が起きて、市庁舎の技術者が調査して極めて危険な状態に

あると判断、その日のぅちに切断処理と、施設としての閉鎖の手続きが終了し

た。それが、今から三日ほど前に起きたことであり、この塔が既に死んでいた理

由だった。

そしてもちろん、整備も修理もせずに非常用動力炉を動かしたということは、

状況を致命的に悪化させた◦逃げ場のない圧力は、三十分以上の時間をかけて、

まめつ

破滅的な力をゆっくりとたくわえていき、そして——

爆炎と轟音と無数の鉄片とを撒き散らしながら、弾けた。

塔が、激しく揺れた。

窓が、次々と割れた。

その振動は、外壁に張り付いていた者たちを引きはがし、振り落とした。

マルゴの姿勢が崩れた。自ら倒れ込むようにして、背後に迫っていたナィフの

ほうへと落ちてゆく。

幼い肉に、薄汚れた鋼の刀身が、めり込んでゆく。

苦悶の悲鳴を吐き出すために、マルゴの口が歪む。

塔が、傾き始める。

壁が大きくきしみ、割れ、無数の破片へと砕けて、十三階の高さから落ちてゆ

b

護衛の男たちが、状況を把握し始める。

商人が、慌てて姿勢を低くする。

マルゴのふところから、複数の何かがこぼれ落ちる。

その何かが床に落ちて、澄んだ音とともに軽く弾む。

内側に黒い何かを封じ込められた、てのひらに載るサィズの硝子玉。

商人が口を開けた。「それだ」とでも言いたいのだろぅ。

マルゴの目が、落ち行くそれらの硝子玉へと向いた。いけない、と視線が叫ん

だ。

床は、もはや立っていられないほどに傾いている◦当然、硝子玉は、下に向

かって——つまり十三階の高さの虚空に向かって、転がり始める。

ナイフを手放した男が、手を伸ばす◦届かない。

割れた外壁から、二人の少女が飛び込んできた。少女たちは一瞬だけ左右を見

渡すと、迷わずに、地面を転がる硝子玉へと手を伸ばした。

Шんだ。

こぼれ落ちた硝子玉はみっつ。そのぅちひとつは、マルゴがその手にひろい上

げょぅとしている。そのことを、テイアットとコロンは確認した。

アイセアの情報にょれば、いまこの浮遊島に持ち込まれた硝子玉、『小瓶』は

全部でみっつ。つまり、あのひとつを確保することができれば全ては終わりだ。

そのための障{吾——武装した男たち——はまだ残っているが、大した問題にはな

らないだろう。

「うごくな-—」

コロンが、あまり迫力のない声で、降伏を撕出|==1<した。

「話はあとで、しつかりきかせてもらう!だから今は、おとなしくしろ!」

——誰も、見ていなかった。

誰も、気づいていなかった。

マルゴ•メディシスのふところからこぼれ落ちた硝子玉の数は、実はょつつ。

拾い上げられなければならなかった『小瓶』の数は、やはりょっつ。

数えられなかつた最後のひとつは、傾いた床を静かに転がり、砕けてなくなつ

た壁の向こぅ側へと飛び出していつて。

傾いた塔の、はるか下。

誰にも見えないところで、誰にも聞こえないくらいの小さな音で。

硝子玉が、割れた。

4•闇の中へ

「ぅ……」

ゆつくりと、目を開く。暗い。

意識が混濁している。いま何が起きたのかを、すぐには思い出せない。

ラキシュとリンゴとマシュマロを連れて、街を歩いていたのだ。

市庁舎へ向かう近道、少しだけ表通りを離れた場所にいた。

大切な話をしようと、一度、足を止めた。

それから……そう、足もとの振動に気づいた。

そしてどうやら、その気づきは遅すぎた◦耳朶を通して脳を揺さぶるような轟

音。全身に叩きつけられるような振動◦足元がなくなるような浮遊感。天蓋が落

ちてきたような圧迫感。

あと数秒でも早く危険に気づいていたならば、また違う行動がとれていたかも

しれない。けれど事実として、混乱の中でフエオドールにできたことはふたつだ

け。マシュマロを抱いたラキシュを突き飛ばしたことと、手元にいたリンゴを捕

まえて、全力で胸の中に抱きしめたことくらいだつた。

г••••:ぃたぃ、ぉもぃ」

腕の中から、抗議の声が聞こえてきた。少なくともリンゴのことだけは無事に

守れていたらしいと、苦しい息の下、ほつと一息つく。

激痛。

改めて、状況に気づいた。自分たちはどぅやら、ラィエル市地下に張り巡らさ

れた整備用地下道にいる。小柄な種族と自律人形の体格に合わせて設計された、

あまり居心地がいいとは言えない場所◦壁の計器がぅすぼんやりと放つ光が光源

となっているため、曖昧にではあるが辺りの様子は見てとれる。

そして、自分の下半身は、壁だか天井だかわからない何かの、下敷きになって

すきま つぶ

いる。うまく隙間にはさまる形になっているのか、完全に潰れるようなことには

なっていないが、かといって簡単に抜け出せるものでもない。

激痛の源は、ここからではよく見えないが、左大腿部。得体の知れない喪失感

も伴っている辺りからして、相当派手な出血もしているはずだ。

г……ぐ」

体にうまく力が入らない。足を引っ張り出すどころか、壁だか天井だかをわず

かに動かすことすらできない。このままではまずいと思う。時間が経てば血が減

る。血が減ればそれだけ脱出が難しくなる。死が近づく。

匕〇

むか

こんなところでいきなりそんなものを迎えて、自分の人生は終わるのだろう

いや、分かってはいるのだ。死はドラマチックなものでも特別なものでもな

い。本人のあずかり知らないところにある文脈に乗っかって、ある日突然に目の

前に舞い降りてくるものだ。

故郷が滅びたあの日、そうやって唐突な死に呑み込まれていった人々を、大勢

見た。

自分はたまたま、あの日あの場所での死からは逃れることができた。けれど今

この場で訪れた死からは、どうやら逃げられない。

「だだ大丈夫、大丈夫ですかっР:」

なんとなく意識が薄れ始めたような気がした瞬間に、その声を聞いた。

その次の瞬間には、下半身を押さえていた圧迫感が、消えていた。

改めて目を開いて、振り返る。巨大な石材を、ラキシュが両腕で持ち上げてい

た。

気の弱い、明らかに非力そうな少女の細腕が、力自慢の大男を何人集めても

太刀打ちできなさそうな重量を支えている。それは、異様な光景だとしか言いよ

うがなかった。

「魔力法は……使っちゃ、駄目だ……」

痛みにうめきながら、言うべきことは言っておく。

「君の体の……負担になるんだろ……?」

「そそ、そんなこと言つてる場合じゃないですよう!」

半分べそをかいたような顔で、ラキシュは天井だったものを放り棄てた。

軽々としか言いようのない仕草で放られたそれは、大地ごと揺るがすような轟

音とともに壁にぶつかり、共に砕けて辺りに散らばった。

痛みもひどければ出血も大量、熱の持ち方からして骨も派手にやられている。

太い動脈は無事だったことだけは不幸中の幸いだろうか。ラキシュの肩を借りな

がらであれば、なんとか歩くことはできそうだ。

「天井までよじのぼるのは難しい、か……」

足の傷の応急手当てを終え、改めてフエオドールは辺りを見回した。

瓦礫の数が、かなり多い。とはいえ地下道の道を完全にふさぐほどではないら

しく、歩き回ること自体は出来そうだ。そしてその一方で、たったいま眩いた通

り、頭上の穴は多少遠いところにあるうえ、瓦礫が何重にもひっかかっている。

「あ、あの。わたし、飛んでいけますから、ロープでもあれば……」

ここぞと自分の存在を主張するラキシュの額を、フヱオドールの指が弾く。

「いたっ!?:」

「何度も言わせないでよ。魔力は使っちやだめだ。障害物がないならまだしも、

あれだけの瓦礫を再崩落しないようにどけながら飛ぶとか、かなり負担が大きい

んじやないか?」

言われて、ラキシュは黙り込む◦フエオドールは自身で魔力法を扱えないため

自信がもてなかったが、どうやら当事者も同意見だったらしい。

「……でも、いつまでもここにいるわけには……」

「もちろん、それはそれで危険だな。だから、あっちから通路を探す」

言って、地下道のほうを指し示す。

「道、わかるんですか」

「さあ。でも少なくとも、どこかに出口はあるはずだよね」

「でも、フエオド^ —ルさんの足」

「そりやあ死ぬほど痛いけど、別にこれだけで死ぬと決まったわけじやないさ」

脂汗をかるくぬぐって、格好をつける。

地下通路は入り組んでいて、まるで迷路のようになっている。

視界の狭さや天井の低さなども相まって、実際以上に広く長いように錯覚もし

てしまう。歩いているだけで、どんどん気が滅入ってくる。

その状況で救いとなるのは、リンゴとマシュマロの二人の存在だった。

幼い妖精たちは死を理解しないという◦そのためか、今のこの危機的状況も、

二人にとってはちよっと非日常感を味わえる刺激的なアクシデント程度にしか

なっていないらしい。薄暗い地下通路をじりじりと進んでいくというシチュエー

ションは二人とものお気に召したのか、先ほどからずっとご満悦の笑みを浮か

べっぱなしだ。

「さっきの話の続きだけど」

ちょっと情けない姿かななどと思いつつ、ラキシュの肩を借りて歩いている。

「落ちる前に、言いかけてたこと」

「ぁ••••:はぃ」

「僕はね。今の浮遊大陸群は一度滅びるべきだと思ってる」

「え?」

数秒ほどの間。

マシュマロの、調子っぱずれの鼻歌が聞こえる。

「え、え?」

「平和すぎる。豊かすぎる◦だからみんな、滅びのことを忘れている。滅びに抗

うためにどれだけの犠牲が払われているのかが、頭から抜けてしまっている」

「え、でも、それは」

г元凶は、おそらく数字だ。いまもこの大陸群には、百近い数の浮遊島が生き

残っている。これは、謙虚さを忘れずにいるためには、多すぎるんだ」

これは、フェォドールの本音のひとつだ。

かつて世界を救わんと望んだ男を義兄に持つフェォドール•ジェスマンという

個人が、優等生の仮面を捨てて初めて吐露できる、ずっと胸の奥に抱えてきた希

望だ。

「たぶん……十か、もう少し少ないくらいの島がいい。それだけ残して、他の島

を全て沈める。そうすれば、もう、その十の島の住人は、生きることで精いっぱ

いになるはずだ。生きていられることに感謝し、自分を生かしてくれている全て

へ感謝するはずだ」

世界の終わりを生きる者たちの輝きは。

もちろん、世界の終わりの中でしか、その価値を知られることはない。

守る力を持つ者の尊厳は、正しく守られる者たちの心の中にしか保たれない。

「そうすれば、誰もが、君たちの存在にちやんと感謝する」

「私たちは、別に、そういうのが欲しいわけじやなくて:••:」

「君たちの、そうい、っ態度にも責任はあるんだぞ」

再び、フエオドールの指がラキシュの額で弾ける。

「搾取される側が何も言わなかったら、搾取する側は、死ぬまで他人から搾り取

るのが当たり前っていう生き物に堕ちていく◦誰だって際限なく甘やかされた

ら、堕落するんだ」

г……はぃ」

ラキシュが、返す言葉を失う。

「どうして、そんな話をわたしにするんですか? その、わたしが憲兵のひとた

ちに話したら、大変なことになりますよね?」

「君は話さないよ」

「それは、その、そのとおりなんですけど。どうしてそれを信じられるのか

て」

少し答えに迷う。実際、どうして自分がこんなことをペラペラしやべつている

のか、フエオドール自身も把握しきれていない。パニバルの時のように、追いつ

められているというわけでもないのに。

「信じる、というのは少し違うけど」

体重のかけ方を間違えて、左足の傷に激痛が走る。顔をゆがめる。

「もともとこの計画、護翼軍が隠していた秘密兵器を入手するのが前提だったん

だ。僕が軍属になったのも、もとはといえばそのためでね◦その正体が君たちだ

というなら、君たちの協力を得ないと、どちらにせよ始められない。いつかは話

さないといけなかつたことだ。だから、それを今話した」

そうだ、そういうことだ。自分に言い聞かせるように、後付けの理屈を紡ぐ。

「わたしたちが、必要……」

「そういうこと。まだ時間はあるから、返事は急がない。他の人に話すのは……

まあ、さすがにできるだけ勘弁してほしいけど」

「......フエオドールさんは」

どことなく重たい表情で、ラキシュは言う。

「全然似てないのに、やっぱりそっくりなんですね」

何のことか、とか。誰と比べてるんだ、とか。

そういう疑問は頭に浮かんだけれど、それを口にするよりも早く、

「えと-—る、あきしゆ* — でぐち*でぐちあったよ*」

マシュマロが駆け寄ってきて、軍服の裾を引っ張る◦応急手当てをしただけの

傷がひきっるように痛む。

準備されていたあらゆる言葉を押しのけて、悲鳴が喉の奥から迸った。

「えと^~るうるさい一

「だああ、マシュマロ、君ねぇ!」

「えと^るおこった?」

一怒るよ!」

ずきずきと反響する激痛に、目尻に涙すら浮かんでくる。

きよとんとした顔でこちらを見上げるマシュマロを見ていると無暗に腹が立つ

てくる。命の価値がわからなくても、この際構わない。せめて、ちゃんと他人の

痛みが分かる子供には育つてほしい。今からでもきつと間に合うと思うから。

「無事に帰つたらお説教だよ、まつたく」

「せっきよ? おせっきよ?」

「なんで嬉しそうなんだ……」

ふと、進行方向の先、リンゴの姿を確認した。

おそらくは出口なのだろう一枚の扉を開き、その向こうをぼんやりと眺めてい

る。

「......リンゴ?」

名前を呼ぶと、我に返つたように振り返る。

「ふえと^-る」

「どうした、何かあつたのか?」

гん一」

リンゴはしばし考えて、

「くろぃ」

そんな、ょくわからないことを言つた。

猫でもいたのかな、と思う。

世の中に黒色のものはいろいろとある。けれど幼いリンゴの知る語彙はとても

狭い。何か珍しいものを見つけたとして、それについて正しい言葉で表現できな

いことには何の不思議もない。

まあ、ちょうどいい。これを機会に、ひとつ新しい単語を覚えてもらおう。

見たものや触れたものを介して自分の世界を広げていく、これは全ての者に

とっての当たり前のこと◦そして、とても小さな世界しか持っていない子供に

とっては、この「当たり前」がとても大切な意味を持つ。

さて、そこにあるのは何だろうと思い、軽く左足を引きずりながら、フエォ

ドールはその出口に近づき外の光景を見て、

「-え?一

一瞬、頭が真っ白になった。

そこには確かに、黒いものがあった。

ほんの数分前まではおそらく瓦礫の山だったのだろう。そういう形をしてい

る。けれどそれは、もはやそんな生易しいものではなかった。そうではなくなっ

ていた。

黒色に輝く、美しい結晶。

「ふえど一る。あれ、なに?」

袖を引くリンゴに、言葉を返せない。

もちろん、フエオド^ルはあれが何なのかをよく知っている◦教えることもで

きる。けれど言葉が出てこない◦それをしたら、目の前の光景を現実だと認めて

しまぅよぅな気がして。

そんなフエオド^ルの当惑と葛藤をよそに-

瓦礫の中に解き放たれた<重く留まる十一番目の獣〉は、静かに38番島の侵食

を進めていた。

「逃げろ---」

フエォドールは叫んだ。

「護翼軍に連絡を!市民を一人でも多く、一秒でも早く避難させるんだ!」

いつぞやの港湾区画での時とは、状況が違いすぎる。この位置で侵食を始めた

<獣〉は、地上に切り落とすことができない。つまり、この38番浮遊島をまるご

と黒水晶に変え終わる時まで、その侵食が止まることはない。

今のこの〈獣〉は、まだ、それほど大きくない◦それだけが、港湾区画での遭

遇に比べてましだと言える点だ。けれどそれで、決定してしまった終わりが覆る

わけではない。時間の猶予がわずかにあるといぅことしか意味しない。

ゆるやかに死に近づいていたラィエル市は、たった今、あっけなく死んだの

だから自分たちにできることは、ただひとつだけ。これから増えるだろぅ被害

を、少しでも抑えよぅとあがくことだけだ。

-それが矛盾した行いであることに、もちろんフエオドールは気づいてい

る。浮遊大陸群の敵として多くの浮遊島を墜とすつもりでいる自分が、今さらわ

ずかな人数の命を気にしたところで仕方が無いはずだと。

いや、矛盾なんてひとつもない。理屈で直観を抑えつける。自分の計画を本格

的に動かし始めるのは、先の話なのだ。今はまだ、今の身分を守ることを考えな

ければいけない段階◦これは、護翼軍の優秀な四位武官としての演技の一環なの

だ。

「ラキシュさん、二人を連れて、今すぐ一位武官のところへ!」

「フエオドールさんは!?:一

いつしよ

「この足じや、一緒には行けない。別行動で市庁舎に連絡を入れてくるから

これはもう無理かなと、頭の片隅だけで考えた。

たぶん自分は助からないだろうと、フエオドールは直観していた。〈十一番

目の獣〉の侵食速度は決して速くない、しかしそれは余計な衝撃をいっさい与え

ないでいた場合に限ってのことだ。これからこの都市の誰一人としてこの黒い恐

怖に抵抗をしないとは考えにくい◦自分のこの足では、まぁ、少なくとも楽観は

できない。

だから、ここで死ぬにしてもせめて、この三人を巻き込みたくはない。

決めたんだ。自分より誰かを大切に思えるようなやつらこそ、ちゃんと生きて

いってほしい。そういうことが許される世界を造るために、自分の全てを使って

やるって。もう誰にも、自分の前で、義兄——そしてもしかしたら、ヴィレム某

とかいうやつと、クトリなんとかという偉大なる先輩も-みたいな死に方はし

てほしくないって。

だから、少しでも、長生きしてほしい。ラキシュにも、リンゴにも、マシュマ

口にも。ティアットにも、パニバルにも、コロンにも。そのためなら-

「ねえ」

緊張感のない士尸。

「ふえと一るあれきらい?」

リンゴの声。

「ああ、大っ嫌いだ」

反射的にそう答えながら、辺りを見回す◦見れば見るほど、わけがわからない

状況だ。機械仕掛けの塔がひとつ、根元から派手に傾いている◦辺りに降り注い

だ瓦礫は、あそこからのものだろう。そして、見える範囲に人影はない。パニッ

クが起こらないことをありがたく考えるべきか、情報の拡散が遅れることを忌々

しく捉えるべきか。

何がどうなって、こんな大惨事になったのか。知る由はない。

「ふえと一るあれきらい......」

リンゴの声が何かを言っている。

自分たちの現在位置を確認し、この塔のことについてひとつ思い出した。市営

気象観測塔。危険だからとつい先日に閉鎖された市営施設のひとつだ◦そいつが

今こんな無残な有り様をさらしているということは、閉鎖処置が間に合っていな

かったのか、それとも別の要因があったのか。

「わかった、りんごも、あれ、きらい」

考え事のせいで、気がつかなかった。

対応も、致命的に遅れた。

するりとフエオド^ —ルの隣をすり抜けて走っていく小さな人影に、気がつかな

かった。

「ぁ……」

「ばっ……」

どこから拾い上げたものか、小ぶりな金属の棒を振り上げて、リンゴが走って

いた。

体が動かない。一瞬が永遠に引き延ばされる◦まるで世界中の何もかもが止

まってしまったかのょぅな錯覚の世界の中で、リンゴの後ろ姿だけが、ぐんぐん

遠ざかっていく。

泣きだしそうな顔のラキシュが、何かを叫んでいる。止まった世界に音はな

い、何と叫んでいるのかは聞こえない。けれどだいたい内容はわかる◦そして

きつと、今この瞬間、自分も同じようなことを叫んでいるのだろうと思う。

カン。

金属棒が、黒水晶を叩いた。

〈十一番目の獣〉は、加えられた衝撃を侵食の勢いに変換する◦みちり、小さな

音をたてて、金属棒だったものが一瞬で黒水晶へと変わる。

リンゴの右手が、黒く輝いている。

バカ、やめろ。

今ならまだ何とかなる、右手を切り落とす必要はあるが、命だけは助かる。

そう叫びたかった。

声が出なかった。

リンコは不思議そうに自分の手を見ると、すぐに興味を失ったょうに〈十一番

目の獣〉に向き直ると、足で強く踏みつけた。

再び、侵食は一瞬。

靴を。踵を。脛を。〈獣〉は一瞬で食らい尽くす。

絶望が、フヱオドールの意識を真っ白に染めた。

、ず

リンゴはバランスを崩した。転びそぅになつたので、左の手を近くの瓦礫に

いた。たったそれだけで、手のひらが黒水晶に同化した。

う一、と、リンゴは不快を露わにした。

嫌いなものを打ちのめしたいのに、そのための手段がない。右の手は元金属棒

を握りしめたまま固まっているし、その元金属棒は叩いた場所にぴったりくっつ

いたままびくともしない。左の手はぺったりと瓦礫に貼りついている。両足につ

いても似たょうなもの。

リンゴは、考えたのだと思う。

そして、気づいたのだと思う。手も足も動かなくても、自分にはあとひとつだ

け、嫌いなものをやっつける手段の持ち合わせがあるのだと。

フエォドールに呪脈視の力はない。つまり、熾された魔力を知覚するょうな便

利な特技の持ち合わせはない。

それでもわかる。いま、リンゴの体が、何かに包まれている。

リンゴ自身の内側から溢れだす何かが、小さな体を覆っている。

なぜか、いつぞやのティアットとの言い合いを思い出した。

自分の命を捨てて誰かを救ぅ、そんな理屈は、フエォドールには受け入れられ

なぃ。

誰かの命を犠牲にしなければ生き残れないょぅな命なら、消えてしまえ。

そ、っ思つている。信じている。

だから、やめてくれと。

祈っても、願っても。

「やめ-」

白。

圧倒的な純白が、視界と意識の全てを塗り潰す。

知識としては知っている。妖精郷の門を開く、といぅやつだ。かつて〈六番目

の獣〉との戦いの中で多用された、妖精兵の本来の使い方。

正しく命を持たない者にのみ可能な、魔力法の裏技。活力と相反する要素であ

る魔力は、生命力の乏しい者ほど強く激しく熾すことができる。だから、生命力

を本来持たない者であれば、理屈の上では、熾せる力に際限はない。

もちろんそんな桁外れの力を制御などできるはずもないのだから、利用法は一

つだけ。その場で肉体ごと弾けて、何もかもを吹き飛ばす。それだけだ。

伸ばした手は、誰にも届かず、誰にも触れえず、誰にも摑めず。そして

光が。

全てを。

fT

どれだけの時間が、経ったのだろぅ。

青い空が、見えていた。

ぼんやりとそれを見上げていたフエォドールは、突然に、我に返る。

傷が痛い。

つまり、自分はまだ生きている。

妖精郷の門が開いたその場所にいた者は、跡形も遺さずに消え失せるはずだ。

そのはずなのに、自分は今、消え失せずにこの場に立っている。

それはいったいどういうことか。答えはひとつ。妖精郷の門は、開いてなどい

なかったのだ。リンゴは、その命を捨てたりなどしていなかったのだ。

希望が、フヱォドールの脳を縛った。

あらゆる理屈を捨てて、ひとつの幻想にすがりついた。

そうだ。間に合うんだ。リンゴはまだここにいる。何も失われてなんていな

い。あいつはいつも通りに元気なままだ。声をかければ、目を合わせれば、また

「ふぇど一る」と名前を呼びながら突つ込んでくるに決まつてるんだ。

視線を、ゆつくりと下ろす。

大地に、大きな穴が開いている。

三、四階建ての建物をひとつふたつまるごと呑み込めそぅな、巨大な穴だ。

その内側にあつたであろぅものは、全てが姿を消していた。そして外側にあつ

たものも、溶け、灼かれ、捻じれ、吹き飛び、ことごとくが原形を失つていた。

「あ……」

声が、漏れた。

г......気がつかれ、ましたか......」

か細い声を、聞いた。

その時になって、自分がマシュマロとともに、一人の少女に力強く抱きしめら

れていることに気がついた。

гえ……」

燃えるょぅな、赤毛。

一瞬、それが誰だかわからなかった。

「ょか……った……」

それでも、声に聞き覚えがあった。

気弱で、穏やかで、優しくて、家族のことが大好きなその娘の声を、今さら聞

き間違えるはずもなかった。

「ラキシュ......さん......?」

少女の腕から、力が抜ける。

すべ

ずるり、と、滑るょうにして、その場に崩れ落ちる。

今この場で何が起きたのかを、フヱオドールはょうやく理解した。

リンゴは確かに、妖精界の門を開いたのだ。

辺りの何もかもを消し去る白い暴虐を、解き放ったのだ。

そして本来、フエオド^ルたちもその暴虐の渦から逃れることはできないはず

だった。けれどそこで、ラキシュが盾になった◦四人の妖精兵たちの中で最高の

素質を持っているという彼女は、彼女にできる限りの魔力を熾し、腕の中にいた

二人を守りきった。

そして、その後は。

肉体の強度を超えた魔力の熱が、本来仮初めのものでしかない人格を不安定に

する……と彼女は言っていたか◦おそらくはそれが、彼女に起きたことの全て。

フエォドールとマシュマロ、二人を守るために、ラキシュは自分自身の心を燃や

し尽くした。

リンゴとラキシュが。

大事な誰かのために。

自分の命よりも大切な誰かのために。

文字通り、自分たちの体を投げ出して。

——僕はね、美談ってやつが、好きじゃないんだ。

——世界でも他人でも何でもいいよ。とにかくそぅいぅのを守って、本人だけ

が満足して死んでいくってやつが、昔から、とにかく大嫌いなんだよ——

フエォドールは叫んだ。

叫びの中身は、自分自身でも分からなかった。

すぐに喉が限界を超えた。

声がまったく出なくなって。それでも、少年は叫び続けた。

5 闇の中を

昼と夜とが、交互に巡る。

任務を終えたといぅティアットとコロンが帰ってきたQ

ラキシュは-あれからずっと、眠り続けている。外傷などひとつもないはず

なのに、目を覚まさない。名を呼んでも。手を握っても◦頰を叩いても〇时をし

ても。まるで、心そのものをどこかに落としてきたかのように。

「二人の名前のこと、覚えてる?」

問われて、フエオドールは顔を上げた。

医務室のベッドの上。

左足の傷は、いまだ完治していない。麻酔の切れた夜中などには、今も泣き叫

びたくなるような痛みを生み出してくれている。

「え?」

「リンゴとマシュマロの、正式な名前。妖精倉庫に連絡してたじやない」

ティアットの言葉を受けて、記憶をたぐる◦ああ、確かに、そんな会話をした

覚えがある◦過去に使われた妖精の名前をつけるのはタブーであるから、正式な

名前をつけるまでの間、ニセモノの安易な呼び名を使うという話だったか。

「覚えてるょ」

笑みを浮かべて、フエォドールは答えた。

心中を隠して笑うことには自信がぁる。なにせ自分は、堕鬼種なのだから。

「それが、どうかした?」

「返事が来たの。二人のちゃんとした名前、ラーントルク先輩がつけてくれた」

「ぁ.......」

そうか。それはそうだ。当たり:一刖だ。

いつか来る日というやつは、いつ来たところでおかしくないものだ。

いつまでも仮の名前のままというのは不便も多い。おそらくはそのラ^ —ンなん

とかという先輩さんも、できる範囲で精いっぱいに急いでくれたのだろうとは思

ただ、間に合わなかった。

その名を受け取るべき相手は、もう、片方が欠けてしまっている。

「それでね、リンゴの本当の名前は——」

「ぃゃ」

首を振った。

г言わないでほしい。僕にとつてあの子は、これからもずつと、リンゴだよ」

「でも」

「君たちがこれからどう呼び直そうと、構わない。ただ、僕はそこを譲らない」

「......うん」

ティアットは顔を伏せた。

リンゴが、〈十一番目の獣〉とともに消えた。

reo

ラキシュ•ニクス•セニオリスが、眠つたまま、目を覚まさない。

この報せは、護翼軍第五師団に、希望と絶望とを同時にもたらした。最高戦力

であるセニオリスが決戦時に使えないといぅことは、間違いなく大きな絶望だ。

しかし同時に、あらゆる攻撃が効かないとされていた〈十一番目の獣〉に、

黄金妖精の魔力攻撃が通用するのだと判明したことは、極めて大きな希望になっ

た。

なにせ、成体でもなければ遺跡兵装を携えているでもないリンゴでも、あの威

力を出して〈十一番目の獣〉を消滅させられたのだ。きちんと完成された兵器で

あるティアット、コロン、パニバル、この三人の残弾であれば、どれだけの威力

をもって敵を討ってくれることだろぅか。

この発見は、フエォドールの功績であるとされた。

タルマリート上等兵には、これで三位武官への昇進も目前だなと皮肉げに言わ

れた。

「じゃあ、ひとつだけ。マシュマロのほぅの、新しい名前だけ、聞いて」

「どうせもうすぐ、その妖精倉庫に連れていかれるんだろ? 二度と会わない子

供の名前なんて、聞いてどうするんだ」

「それ、本気で言つてるんじやないよね」

「寂しい抵抗はやめて。きみ、そぅいぅ嘘、下手なんだからさ」

返す言葉がない。

一綴りはね、R、Y、E、H、L」

「読みにくい」

「仕方ないじゃない。わたしたちの名前、文字に要約された古代語の単語とか、

その文字の順番を並び替えての意味強化とか、いろいろやってからつけられて

る……らしいし」

「へぇ」

確かに。これまで耳にした妖精たちの名前は、どれも特徴的と言ぅか、ほかの

種族では聞かない名前ばかりだった◦そこに意味があったのだと言われれば、と

りあえず納得はできる。

とはいえ、そんな豆知識を知ったところで、何かの得があるわけでもないのだ

「書類上は、精霊Ryつてことか。で、その綴りで何て読むわけ。レール?

ヘル?」

「リイエル」

目の前の空中に指先で文字を描きながら、テイアットはその名を呼ぶ。

「あの子の名前は、これからは、リイエル。覚えておいてあげて」

自分はまどろみの中にいるのだと、その少女は気づいていた。

fT

最初から、味方は誰もいなかった。

なにせ、家長たる母が言い出したことなのだ。そして、家長の言葉に口を挟む

よぅな者は、あの時点のあの家には、一人もいなかった◦父も、祖父母も、兄や

姉たちも、同じ笑みを浮かべて頷いた。

よかったな、これでお前も幸せになれるな、と、口をそろえて繰り返した。

政略結婚の話である。

その時の少女は七歳で、相手の少年は十歳だといぅ話だった。

少女の手足には、獣のょぅな深い毛が生えていた◦頭頂には小さな三角形の耳

が生え、目立たなかったが頰からは六本の髭が飛び出していた。

いわゆる猫徴族であれば、こんな中途半端な毛の生やし方はしない。顔つき

だって、鼻が低く瞳が小さく、つまり獣人のそれからは程遠かった◦しかしそれ

でも、わずかなりと//徴//を抱えたその体は、完全な徴無しのそれからはかけ離

れていた。

だから少女は、生まれたその時から、独りぼっちだった。

歴史ある徴無しの家に生まれながら、徴無しでも獣人でもない半端な何者かと

して、愛情らしい愛情をまつたく知らないまま、七つのその年まで大きくなつ

た。

そこに来て飛び込んできたのが、問題の、政略結婚の話である。

幼かった少女は、それがいったいどういうものなのかを知らなかった◦詳しい

説明をしてくれる者も、周囲にいなかった◦だから、どうやら知らない誰かと会

わされて、しばらく一緒にいさせられるらしいとだけ解釈した。

術かった。

歉だった。

どうせ、自分のこの頭を見れば、誰だって嫌な顔をするのだ◦機嫌にょっては

拳や足を出してくるのだ。そんな自分は、薄暗がりに一人で小さくなっているべ

きだ。それが一番似合いだし、何ょり、そうしていれば誰も不機嫌にしなくてす

むわけだし◦なのにどうして、明るいところに引きずり出そうとするのか。誰か

そば

の傍に置こうとするのか。

そんなもやもやを、七中に抱えたまま-言葉にするだけの勇気を持てずに-

少女は見合いの場所へと向かった。

そして、一人の少年と出会った。

細かい経緯は省いて、結果を言お、っ。

少女はあっさりと、その少年に堕ちた。

その見合いの場において、当の少年は実に「普通」に振る舞った。徴無しらし

くない徴無し、あるいは獣人らしくもない獣人である少女の姿を見ても、嫌悪も

軽蔑も、それどころか好奇の目すら見せずに、ただ年相応の子供に接するよぅな

態度をとってみせた。

それで、充分だった。

あるいは、それこそが、必要だった。

生まれて初めて、少女は一人の少女として、泣いたり笑ったり甘えたり怒った

りすることができた。それがとても幸せな気持ちになれることなのだと、知るこ

とができた。

仲良くなりましたと報告したら、母は喜んでくれた。「やはり堕鬼の連中は犬

猫をあやすのがうまい」と、実に嬉しそうに笑っていた。意味はよくわからない

けど、こんな自分のことで喜んでもらえたならよかったなと少女は思った。

結婚というのは、ずっとずっと一緒にいるという約束だと聞いた。

婚約というのは、ずっと一緒にいる約束をする約束だと聞いた。詳しい意味は

なんだかややこしくて、幼かった少女にはよくわからなかった。

少女の家は体の良い厄介払いを望んでいたし、少年の家は少女の家とのつなが

りを欲していた。両家の利害が、少女の頭の上で一致していた。

そんな大人の事情は、子供にとってはそれほど重要ではなかった。

大切なのは、大好きな少年と、週に一度は会うことができるょうになったこ

と0

家族が(感情はどうあれ)それを認め、さらには後押しすらしてくれたこと。

少年は優しくて。少女がどんなにヮガママを言っても、笑って受け入れてくれ

て。

少年は物知りで◦会うたびに、少女の知らなかったいろいろなことを教えてく

れた。

そんな彼とずつと一緒にいられるというなら、もしかして自分はものすごい幸

せ者なんじゃないかと、思つたりもしてしまつたりした。

夜しかなかった世界に、光が差した。

それは、少女にとって、とても楽しい毎日だった。

fT

繰り返す。自分はまどろみの中にいるのだと、その少女は気づいていた。

いま彼女の周りに咲き乱れる花も、陽を照り返す湖も、白く眩しいガゼボも。

すべて既にこの世界にはないはずのものだ。その景色をこうしてまた見ることが

できているという時点で、ここは夢の中でしかありえない。

案の定。そのガゼボの屋根の下に、二人の子供の姿があった。

一人は、幼かったころの少女自身。年は、八つくらいだろうか。フードつきの

長袖ヵーディガンを脱いで、素顔と両腕を太陽の下に晒している。まるで

猫徴族のような——けれど決して猫徴族のものではない、耳と両腕の毛。

もう一人は、銀色の髪の少年◦少女自身より三つ年上だったから、このころは

十一歳◦実に篤実そうな、くりんと丸い紫色の瞳の持ち主——なのだが、当人い

わく、自分は堕鬼種であり、堕鬼種は例外なくタチの悪い嘘つきなので、気をつ

けたほうがいいとのこと。

(——そう言われた時、ワタシ、『ゥソだあ』って笑ったんでしたっけ)

あの時の少年の顔を、よく覚えている。

堕鬼としてのプラィドを傷つけられて悔しがっているような、それでいて同時

に、個人として信用されていることを喜んでもいるような、不思議で複雑な表

情。今にして思えば、そうやって感情を露骨に表に出してしまっていた時点で、

やっぱり彼は嘘つきとして失格だったのではないだろうか。

少し離れたところで立ち止まり、昔の自分たちの横顔を見つめる。

二人は、石造りの机を挟んで、向かい合って座っていた◦その視線は机の上、

様々な駒の並べられた遊戯盤に落とされていた。

(ああ——懐かしい、です)

あれは、古代の戦争を模したゲーム。

彼が、得意だと言っていたものだ。

少しでも長く一緒に時間を過ごしたかったから、そのゲームのルールを教えて

もらった◦喜んでほしくて、一生懸命勉強した。最初はゼロに近かった勝率が少

しずつ増えて、五割に近づき、そして気がついた時には、少年の腕前を追い越し

てしまつていた。

めちゃくちゃ調子がょかった日など、少年に手も足も出させず一方的に圧勝し

てしまったことすらある◦あの時には一度大喜びして、その直後にとても怖く

なった。慌てて少年に謝った。嫌いにならないで欲しいと懇願した。

少年は、少し意表を突かれたょぅな顔になってから、笑った。

そしていわく、こんなに強くなるくらいこのゲームのことを好きになってくれ

たなら、教えた甲斐があった。もちろん自分にも意地があるから、このまま負

けっぱなしでいるつもりはない。もっと強くなって、すぐにやり返してやるから

覚えてろょ、と-

——結局、彼は、嘘つきの堕鬼だった。

彼はあの後、一度もやり返してなどこなかった。

そんな時間はなかった。あれからそれほどの間を開けず、後にエルビス事変と

呼ばれるあの事件の日が来た。〈広く包み込む五番目の獣〉といぅ名の災厄が、

エルビス集商国ごと、彼とその未来を根こそぎ呑み込んだのだから。

生きていたころの少年が、笑っている。

幼き日の少女も、笑っている。

そして、今の自分は、その二人に近づけない。

離れた場所に立ち止まり、それ以上は足を動かせずにいる。

あれは、綺麗な思い出だから。

ずっと、綺麗なままであってほしい記憶だから。だから触れてはいけない。近

づいてはいけない。関わってはいけない。汚してはいけない。

少年が、ふと、何かに気づいたよぅに顔を上げた。

きよろきよろと辺りを見回してから、こちらに顔を向けた。

不思議そぅな顔になつて。

口を開いて。

少女の名前を^——

-傷の痛みに、身をよじる。

f

マルゴ•メディシスは、弾かれたよぅに目を開く。

まぶたの裏の光が消えて、現実の薄闇が瞳に飛び込んでくる。

しこは」

J くせ

無意識の_分のつぶやきが、急速に意識を覚醒させた。石と金属板に包まれ

た、ラィエル市独特の建物の一室◦万が一の事態に備えて、個人的な避難場所と

して目をつけておいた場所のひとつだ。

とう だつしゆつ ついげき

あの後、かろうじて塔の中から脱出した◦追ってくる女性兵士たちの追撃をか

わし、狭い路地に逃げ込み縫うようにして走り、この場所に逃げ込んで、意識を

わきばら

失った。

ひきつるような脇腹の痛み。顔をしかめながら、#を起こす。

「まだ......生きてます......?」

傷の具合を確かめる。あまりうまい手当てができたわけではなかったが、少な

くとも血は止まつている。今すぐ命に係わるというようなことはなさそうだ。

窓際に近づき、こっそりと外の様子を窺ってみる◦もともと人通りが極端に少

ない街並みであるため分かりにくいが、見える範囲の景色は平和なものだ。少な

くとも、見える範囲には、あの忌まわしい黒色の姿はない。

「確かに、『小瓶』がひとつ、割れてたはずなのに……」

あの硝子玉、そしてその中に封じられている〈十一番目の獣〉は、一度解き放

たれれば浮遊島ひとつをまるまる呑み込むまで決して止まらない、究極の災厄

だ。その暴虐を止める手段など、何ひとつとして、ありはしない。そのはずだ。

「護翼軍が、何かの手を打った……?」

(ib ぅ

考えにくいことではあるが、他の可能性も思い浮かばない。

心の奥底に、炎のよぅな苛立ちがちろりと揺れる。

護翼軍が、〈十一番目の獣〉を止めることができる。そんな話は聞いたことも

なかったし、これまで考えもしなかった。

当然だ。護翼軍は、あの日、39番浮遊島を、守れなかったのだから。

救うべきものを、救われるべき者たちを、救わなかった。

あれはどうしようもな力ったのたと思っていた〇そもそも〈獣〉の攻擊を退

けることなど不可能なのだから、護翼軍だろうと誰だろうと、あの事態を防ぐこ

となどできるはずがなかったのだと。

けれど、そうではなかったのかもしれない。

あの時既に、護翼軍は〈十一番目の獣〉に抗う手段を持っていたのかもしれな

い。その上で、浮遊島をひとつ見捨てていたのかもしれない。その可能性を考え

るだけで、怒りにも似た熱が、胸の奥を焦がし始める。

——止めよう。こんなもの、ただの八つ当たりだ。

嘆息ひとつ、窓辺を離れる。

テーブルの上に置きっぱなしにしていた仮面を、手に取る。

準ディドルナチヵメルソル奉謝祭の時期になると流行する、白い木製の仮面。

生と死とが交わる季節に、生者と死者が触れあぅための小道具。

この仮面をつけた者は、何者でもない誰かになる。生者でもなく死者でもな

い、そんな狭間に立つナニモノヵになれば、逆に、ナニモノとだって出会えるは

ずだ——と、そんな伝説のあるしろものだ。

もともとは、市内への潜伏が楽になるな、程度の気持ちで採用した小道具だっ

た。けれど今は、その屁理屈じみた伝説とこの仮面に、少しだけ感謝の気持ちを

抱いている。

先ほどの夢を、思い出す。

自分は確かに、会いたかった相手に、会えたのだ。あの日死んでしまった許嫁

の、大好きだった少年の、笑顔をもう一度だけ見られたのだ。

「......ありがとう、フヱオドール」

許嫁の名前をぽつりと眩いて、仮面をかぶる。

マントを肩にかけ、部屋を出る。

_分はまだ生きている。生きている限り、やるべきことはある。

「夢の中だったけど……もう一度会えて、嬉しかった、です」

あと力き力もしれなレ/きつとあと力きた

終わりかけた世界の片隅で。終わりを体験した噓つき武官の少年は、ささやか

な終わりを受け入れようとしている少女兵器たちに出会った——

そんなこんなで展開しています、当シリーズ。『終末なにしてますか?もう

一度だけ、会えますか?』の第ニエピソードをお届けします。

なおここを読まれている方には今さらな話かとは思われますがいちおう宣伝を

付け加えておきますと、このシリーズには前日譚のようなものにあたる『終末な

にしてますか? 忙しいですか? 救ってもらっていいですか?』というシリ^—

ズが存在しています。角川スニーヵー文庫さんから全五巻で発売中。未読だけど

今このあとがきを読んでいるぜという方がもしいましたら、今すぐ本屋にダッ

シユすることを強く強くお勧めします。

あとがき開始早々、いきなり宣伝全開ですみません。

そしてもうひとつすみません、実はもう少し宣伝が続きます◦というかここか

らが宣伝の本番です。

まず、宣伝のひとつめ。

http://tl.rulate.ru/book/8422/167468

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